2013年11月2日土曜日

アメリカ西部の旅
2012年6月3日

残っていた“名所”を回って、グランド・ティトンGrand Tetonを昼前に出発。小さな町モランMoranからグランド・ティトンに別れ、US26/287を南へ。

開拓者がオレゴンOregon、カリフォルニアCaliforniaへと大陸を横断したオレゴン・トレイルOregon Trailのワダチ跡を目指してワイオミング州Wyoming南部へ向かう。
リバートンRivertonの手前で道はUS26とUS287に分岐。US287でランダーLanderまで行き、その先で今度はUS287から分かれてWY28へ。
「South Pass」の看板がある未舗装の脇道に入って、サウス・パス・シティーSouth Pass City

のオールド・タウンOld Townに寄り道。金採掘に沸いた19世紀・開拓時代のブーム・タウンBoom Town、当時の建物の多くがほぼそのままに残っている。
この町からWY28を少し西へ行くと、サウス・パス(南峠)South Pass。幌馬車でオレゴン、カリフォルニアへ向かう開拓者たちにとって最大の難関だったロッキー山脈Rocky Mountainの山越え、最も高度が低かったことから、多くの移民が越えて行ったのがこのサウス・バスだ。WY28から草原に残された、オレゴン・トレイルOregon Trailを探して大草原に入り込み、踏み分け路とサウス・バスSouth Passの記念碑Monumentを発見した。
ファーソンFarsonからUS191でロック・スプリングRock Spring、ここが今夜の宿。



走行距離=260マイルmile
宿:ワイオミング州ロック・スプリングRock Spring Motel  6  Rock Spring  $53.92
給油:20 Wyoming Lander Pit Stop 5
夕食: モーテルに近いファミレス風のレストラン「applebees」でステーキなど $28

買い物:スーパーSmithでビール$15.74とランチ用21.79


  朝早く起き出して、ジャクソン湖Jackson Lakeの湖畔へ。Colter Bayを造っている北側の岬あたりまで往復1時間ほどレイク・ショア・トレイルLake Shore Trailへ散歩に出かける。車をインフォメーション・センター付近に停めて、歩き始めた。

  が、トレイルの入口で熊のイラスト入りの立札を目ざとく見つけた相棒が騒ぎ出した。「これって熊に注意の看板でしょう?だめよ、熊は。帰りましょうよ」湖畔の道からちょっとした林の中の道になると「熊が出る」とビビリまくる。何とかなだめすかしたが、ものの5分も歩かないうちに「もう帰る。一人で帰る!」。
  方向音痴のクセにさっさと回れ右。ほっとくとどこへ行くのか分からないので、仕方なく、こちらも強制終了。朝の湖沿いの散歩はあえなく打ち切り。
  長い付き合いですが、ここまで「ビビル」とは。想定外。これから相棒はビビルさんに改名です。


  散歩は挫折したが、グランド・ティトンGrand Tetonを発つ前に、US191/89沿いにある、カニングハム・キャビンCunnigham Cabinとスネーク・リバー・オーバールックSnake River Overlokkからグランド・ティトンの山並みに最後にもう一度しっかり眺めておきたい。



  やってきたモラン・ジャンクションMoran  Junctionから少し下がった、エルク牧場elk ranch。ここで予定外の放牧の馬たちに遭遇。晴れ渡った空、雪を頂いた山並みと馬たち。私たちだけじゃなく、次々に車が停まり、ギャラリーが増えていく。



   牧場の少し先にあるカニングハム・キャビン・ヒストリック・サイトCunningham Cabin Historic Siteは、1888年にカニングハムさんが、ニューヨークNew Torkからやってきて拓いた牧場跡。駐車場に車を置いて、「J  PIERCE  CUNNINGHAM」と書かれたゲートをくぐって少し歩くと、居住兼家畜小屋だったらしい長屋風のログハウスが。












  丸太を重ね、小さな窓と出入り口があるだけの素朴な小屋。でも、部屋に入って、開けっ放しの小さな窓から見えるティトンの山々の風景はまるで絵のよう。






 最後にもう一度、スネーク・リバー・オーバールックSnake River Overlookへ。アメリカの有名な写真家アンセル・アダムスAnsel Adamsが撮った、蛇行するスネーク川Snake Riverの向こうにそびえるグランド・ティトンの雄姿は、この展望台からの景色だそうです。


  彼は、ヨセミテYosemiteを撮った写真で有名なアメリカのカメラマンで、ヨセミテにとどまらず、アメリカの国立公園を撮り歩いた。ここグランド・ティトンGrand Tetonでもさまざまな角度からカメラに収めたそうですが、最もよく知られたポイントがここ。カメラさえ構えれば、確かに「完璧な写真」のはずでしたが、頂上が雲に覆われ残念。


  

モラン・ジャンクションに戻りUS287/26へ。これでグランド・ティトンともお別れ。後はワイオミング州南部に残る幌馬車隊の道「移民の道エミグラント・ロードEmigrant Road」、南を目指す。

  緑豊かな高原の離れUS287/26南下。峠では雪がまだ残っている。






  峠を下ると木が少なくなり、牧草が広がる草原。西部風の木造の町並みを再現しているDuboisの町では「熊、鹿、カウボーイの像があった」とビビルさん。Duboisを出たあたりから草原とUtah、Arizonaのような乾燥した岩の景色に変わっていく。






   町から10マイルか20マイルあまり、集には人家が見えないのに、郵便ポストだけがずらり5個ほど並ぶ十字路に出くわし、思わず車を停めて記念撮影。





  レストエリア(Diversion Dam  Rest Area)で昼食を済ませるとすぐに分岐点、US26と別れてLanderの町。中心街のOld Townはレンガ造りの19世紀の建物が並ぶ、ちょっとレトロな町だが先を急ぐ。

  Landerを出てUS287と別れ、WY28へ。赤い大地が広がるレッドキャニオンRed Canyonを越えると、車窓左の風景は草が覆うゆったりした起伏の丘陵地帯に。





  7400~7500フィート、2000メートルを超す高地に広がる草原を、西海岸のオレゴンOregon、カリフォルニアCaliforniaを目指す開拓者やソルト・レイクSalt Lakeを目指すモルモン教徒の幌馬車が隊列を組み、越していった移民の道「オレゴン・トレイルOregon Trail」の世界だ。













 この草原に、アトランティック・シティーAtlantic City、サウスパス・シティーSouth Pass Cityという、1866年にゴールド・ラッシュGold Rashに沸き、わずか10年あまりでバーストしたブーム・タウンBoom Townがあるらしい。



 オレゴン・トレイルOregon Trailともピッタリ重なる時期。少し興味をそそられ寄り道する。




  WY28の道路脇にあったアトランティック・シティーAtlantic Cityの案内板を頼りに未舗装道へ。うねる丘を少し行くと、アトランティック・シティーの集落が現れた。








  集落中心あたりに「A.C Mercantile」という古ぼけた木造の元ゼネラル・ストア。店の前に町の歴史を案内する掲示版などがある。いい感じにくたびれた店を見上げると、入口の看板に「EST.1893年」とある。金に沸いたフィーバーがあっという間にしぼみ、さらに1866年に大陸横断鉄道が開通して付近から峠を越えて行く移民の幌馬車が姿を消したころに出来たことになる。

  お店を背景に記念写真を撮っただけで中には入らなかったが、ちょうど店から出てきた爺さんがいたから、もちろん現役。今はレストランらしい。



  町はその後も金の採掘は細々と続き、つい30年ほど前まで、鉄鉱石の鉱山があったという。レストランがあるくらいだから、町に人はいるのだろうが。爺さんがいないと、まるでゴースト・タウン。そそくさと、谷間に数件の木造の家が点在する「メーンストリート」を抜け、次は隣町、サウスパス・シティーSouth Pass Cityへ。


 草だけが覆う穏やかな丘を何度か上り下りし未舗装の道を西へ。サウスパス・シティーの町へ入る直前に、活動を止めているが、まだ廃墟というほどではない「Carissa Mine」という採鉱所跡。



  1867年この鉱山で金が見つかり、当時ワイオミング州Wyoming最大量の金を産出したサウスパス地区の鉱山目指して何千人という人が押し掛けたが、そのブームわずか10年あまりで崩壊。しかし1900年代に入ると技術の進歩や金の値上がりで採算に乗るようになり再び町に繁栄が戻ってきた。

   1949年に閉鎖されるまで現役で活躍した鉱山は、2003年、ワイオミング州Wyomingが取得、現在は歴史的記念物historic  siteとして保存-案内板にそのようなことが。鉱山の採掘施設はかつての黄金ラッシュの町の様子の一部を伝えている。


   
  

  町へ入ると、随分とアトランティック・シティーAtlantic Cityとは様子が違う。明るい町の中心にキレイな家があり星条旗が翻っている。一体何?車を停めると、「State Historic Site」とある。受付があって人がいる。

   何でも、町が最も華やかに輝いていた1860年台~1870年台にかけて建てられた建物・町並みを保存・整備した「町並みミュージアム」のような施設らしい。




   1866年に金が発見されたと伝わると、鉱山のそばに出来た町は、1年で2000人以上が住む町に膨れ上がり、町には30軒以上の商家があっという間に立ち並んだ。しかしわずか10年あまりで急速にしぼんでしまった町を州がhistric  siteとして整備、蘇ったものらしい。保存されている家々のほとんどは、ブームに沸いた1866年から1870年代に建てられたものだという。

   100メートルほどのメーンストリートの両側にバーやサロン、ゼネラル・ストア、ホテル、鍛冶屋、銀行から民家などが並んでいる。もっとも多くは建物がすでになくなって空き地、歯抜けの町並みだが、逆に一軒一軒の家は、内部まで、できる限り当時の様子を再現している。




   ゼネラル・ストアには昔のままの棚に当時のデザインの缶詰食品などが並び、民家の台所には料理用ストーブやテーブル、食器。ホテルの部屋にはベッド(以外に小さい!)のそばに尿瓶などなど、建物だけじゃなく、生活のディテールまで再現されている。デロリアンに乗って幌馬車や西部劇時代の西部の町にやって来た気分だ。











   町の中を流れる小川では、砂金すくいのアトラクションも。

   もちろん参加してみる。砂金専用の深いお皿のような道具に川の泥を入れ、川の水にさらしてゆすりながら石ころなどの塊を洗い流す。重い金は沈むので、少しずつ何回もやって、運がいいと最後に残った砂の中に金が光っているはず、という。

 私はすぐにギブアップ。うちのビビルさん、頑張ってましたが途中でギブアップしかけたが、施設の方が代わってやってくれ「ほら、やっぱり、ありましたよ」1ミリか1・5ミリほどの金色に輝く破片が確かにお皿の中で燦然と輝いていました。

   「これ、どうしますか」「持って帰っていいですよ」「本当?」「あそこのゼネラル・ストアに行けば、金を入れる小さな容器を売ってますよ」


   喜び勇んでビビルさん、お店に行ったら、ボランティアのおばさん店員さん「ワーすごい。とてもラッキーですよ。本当によかった。容器はプレゼントします」一緒になって喜んでくれて、ますます大喜び。おばさんと記念撮影したり、大変。



  もし西部劇好きなら、近くまで行くことがあれば寄ってみることオススメの、☆☆です。


  さて、オレゴン・トレイルOregon Trail=エミグラント・ロードEmigrant Roadである。セントルイスSt.Louisから、西海岸の豊かな土地を目指した移民たちが、同じ方向へ向かう者同士が隊列を組み、幌馬車に家財道具を積んで、アメリカ大陸を徒歩で横断していった「道」のことだ。

  かれらは大きく3つのグループに分かれ、オレゴン州を目指したグループ、カリフォルニア州を目指したグループ、そして迫害を受けたモルモン教徒たちは“約束との地”ソルト・レイクと、目的地は違ったが、ほとんどのグループが通ったのがこの峠、サウスパスSouth Pass。

  全行程約3500キロのトレイルで最大の難所が10000フィートを超えるアメリカ大陸の分水嶺、ロッキー山脈Rockey Mountain越え、その中でただ一カ所、このサウスパスだけが、7500フィート足らずの高原地帯だったのだ。


  しかも、東にはメキシコ湾に注ぐスイート・ウォーター川Sweet Water River、峠を越した西にはサンデー川Sanday Riverやグリーン川Green Riverがあり、長旅に水の心配もない。

  本格的に西海岸への移民が始まった1846年から、大陸横断鉄道が開通する1869年まで、最盛期の20年あまりに40万人の移民者がこの峠を越していった。そのエミグラント・トレイルEmigurant Trailが、サウスパスSouth Pass周辺には残っているのだという。



  冬が来て、雪が降る前に目的地に着くためには、夏場にこの難所を越えて行かなければならない。ピークには毎日、家財道具を満載した何百台もの幌馬車が、越えて行ったという峠をぜひ訪ねてみたいと、事前にいろいろ調べみた。










 しかし残念ながら、移民者たちが通った峠の正確な位置を含め、きちんとした「ガイド」をついに発見できなかった。そこで「オレゴントレイル物語」という本を元に、グーグル・マップでおおよその見当を付けた。


 サウスパス・シティーSouth Pass CityからWY28に戻り、少し西へ進んだ右手にある休憩所あたりが、「現在のサウスパス」らしい。移民たちが歩いて越したかつてのサウスパスはさらに南西方向と思われる。

  この休憩所の先にある小さな川(スイート・ウォーター川Sweet Water Riverの上流のよう)を渡った直後にあるダートの脇道を左に入ってみることにした。

 しばらく整備されたダート道を走ると、360度、セージブラッシュと草が覆うなだらかな起伏が続く大草原の真っただ中。どこまでも続く草原のダート道には何の道標も目印もない。ちょっと不安になって周りを見回すと、何と後ろから四輪駆動車が一台やって来た。




 車を停めて先に行かそうとすると向こうも車を停めた。聞くと、何とサウスパスSouth Passを訪ねてやって来たアメリカの中年夫婦、ガイドブックを見ながら「もう少しだよ」。やったー!正解だったよ。






 再び車を動かすと、本当にすぐに案内盤が3つ、4つ並ぶ四辻に出た。どうやら左右を走る道が幌馬車の通った道のようだ。深いワダチが刻まれた悪路が、草原の中をどこまでも伸びている。中年夫妻によると右(西への)のワダチの道をもう少し行くとサウスパスらしいのだが。




草原の真っただ中にポツンと「South Pass」の案内盤が。道を右に進むとオレゴンだ。

「South Pass」の案内盤。
 「さあ、いこうぜ」向こうは4駆、簡単に言ってくれる。「でも、車がね」「ここまで来て。大丈夫だよ」どう見たって、普通車ではボディーの下をこすってしまいそうだ。「やめとくよ」「エー、ここまで来て?歩いてでも行ける距離だよ」そこまで言うなら乗せてくれてもいいのにね、と思ったが、さっさと行っちまった。

 でも、これだけいろんな案内盤がそろっているのだからやっぱりここが峠じゃないの?彼らによるとあと1、2キロくらい行けばいいらしいのだが…。


中央付近に「You Are Here」の文字が見えるだろうか。その右下に「SOUTH PASS」の文字も微かに見える
 帰国後、オレゴン・トレイルを調べていると、ちょっとした発見があった。

 峠から20~30マイルほど行くと、サンデー川Sanday Riverの恩恵を受けた緑豊かなファーソンFarsonという町がある。そこで町を北から南に通り抜けるUS191に合流し、本日の宿、ロック・スプリングRock Springの町に向かうのだが、そのファーソンFarsonの町手前(東)にオレゴン・トレイルの名所の一つ「Parting of the Ways」というトレイル分岐点があるらしい。オレゴン、カリフォルニアへ向かうグループと、ソルト・レークへ向かうモルモン教徒たちが右と左へ分かれて行ったポイントだという。

  当初のルートは、サウスパスSouth Passを越えサンデー・リバーSanday Riverから南西へ進み、グリーン川Green Riverを渡ってフォート・プリジャーFort Bridgerへ向かい大きく南へ迂回するルート。オレゴンやカリフォルニアへ向かう移民は
フォート・プリジャーFort Bridgerから北へ向かうルートになるため、1844年に開発されたのがサウスパスSouth Passを過ぎ、まっすぐ西へ進むショートカット・ルート。これを使うとオレゴン、カリフォルニアへ向かう人たちは46マイルの短縮(そのかわりに、50マイル間、水のないルートが続くらしい)になった。このため、オレゴン、カリフォルニアのグループは多くがショートカットのルートを取るようになり、南へ下って行くソルト・レークSalt Lakeへ向かうグループとは、この分岐点で別れるようになったのだという。

 彼らが目指していたのは「Parting of the Ways」だったのかもしれない。今となっては「真相」は不明。案内盤を信じて、あれがサウスパスSouth Pass だったことにしよう。


 ロック・スプリングRock SpringはI-80沿いの町。インター・チェンジ周辺にモーテルやファミレス、大型ショッピング施設が並ぶ便利な町。泊まりは今回の旅では初めての格安大型モーテル・チェーン「モーテルMotel6」、一泊54ドル足らず。安い。この値段だとバスなしでシャワーのみ。室内も軽っぽいが、アメリカらしい機能的な清潔感。

 夕食は近くのグリルまで徒歩、途中、ダラー・ショップDaller Shop(日本の100均)へ寄ったりブラブラ。ビビルさんはステーキ、私はハンバーガーで28ドル。
  明日は、Arizona目指して、再びひたすらドライブの一日。頑張らなくちゃ。



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