2013年11月23日土曜日

アメリカ西部の旅
2012年6月6日



ショー・ローShow LowからUS60で、アパッチ自治区を北東から南西のグローブGlobe目指して山越え。

グローブGlobeでAZ77に道を替え、山を下って西部劇でおなじみのツーソンTucson。町を挟んで東西2カ所に分かれたサボテンが群生するサワロ国立公園Saguaro National Parkへ。まずは市街地を挟んで東西2カ所に分かれた西側。Ina Roadから公園内に通じるPicture Rocks Roadを経て公園内のGolden Gate RoadからScenic Bajada Loop Driveを巡る。サボテン原野を散策するトレイルはあるが、とにかく暑い。車で回り、サボテンの写真を撮るのが精いっぱい。

あまりの暑さに、近くにある、太秦映画村のように、西部劇時代のツーソンTucsonの町を再現したという施設「オールド・ツーソンOld Tucson」に避難しようと、のぞいてみると、何とお休み。

そこで、「OK牧場の決闘Gunfight at the O.K. Corral」の舞台・ツームストンTombstoneを訪ねることに。Kinney Roadを下りAZ86からI-10へ。Bensonの町外れの304番でインターステーツを降りてAZ80、南を目指す。

メキシコMexicoとの国境の北30マイルほどにあるOK牧場の町、ツームストンTombstoneへ。大きな「O.K. Corral(OK牧場)」の看板が右手に見えてくるとすぐに町。町の中心部に300~400メートルほど西部の町が、その町並みの西の端にOK牧場があった。その日最期の決闘再現ショーを見終わると午後5時ごろ。ツーソンに戻って今日も一日が終わった。

このドライブも残すところいよいよあと2日、か。

走行距離=372マイル



宿:アリゾナ州 Red Roof Inn Tucson North  $89.78(連泊、2泊分)

給油:$20  アパッチの森、US60沿いの町Globechevronのスタンド。
夕食:モーテル近くのデニーズ$20.25
入場料: OK牧場$20、ツームストン裁判所$10  
買い物:帽子など土産$22.97





めっけもののモーテルKCを出て、Show LowからUS60Globeを目指す。

 山また山を越えて行くこの道は、ネイティブのホワイト・マウンテン・アパッチWhite Mountain Apache 族が住む「Fort Apache Reservation」を北東から南西へ貫き、さらにその南に隣接する「San Carlos Apache Reservation」の境界線を縫うように続いている。ここはアパッチたちの森なのだ。


 アパッチApache といえば、スー族sioux(中西部サウス・ダコタSouth Dakota州にReservationがある)とともに、最後まで白人に激しく抵抗した誇り高く、勇猛なネイティブとして西部劇でもおなじみの種族。特にジェロニモGeronimoの名は有名だ。
 アパッチにはたくさんの部族があり、アリゾナ州南部からメキシコにかけての山岳部を中心に住んでいたという。White Mountain Apacheはもちろんその一部族。ここも前日のNavajo Nationと同様、独自の行政機構を持つである。
 ちなみに、ジェロニモGeronimoの部族は現在のメキシコにいた部族で、メキシコを中心にアリゾナ州南部にかけて活躍したらしい。

 道は結構きつい。山肌をジグザグに左から右へ、右から左、再び左から右へ、折り返し越えて行く。川を渡り山を越え、高度を上げて1時間あまり。峠から望む山並みは緑が美しい。




 緩やかに下りながらGlobeの郊外でAZ77へ。さらに乾燥した高原を下っていくと、山には樹木に変わってサボテンの姿が見えてくる。モニュメント・バレーが西部劇の一方の代表的な風景だとすると、もう一つの代表はサボテンがまばらに生える荒地を行く光景。マカロニ・ウエスタンの世界だ。

 サボテンと言ってもいろいろな種類があるが、西部劇でおなじみのサボテンはスックリと地表から立ち、途中から枝分かれした腕が何本か伸びる、ちょっととぼけた大きなおじさんが万歳でもした後ろ姿のような、サワロSaguaroと呼ばれるサボテンのこと。

 アリゾナ南西部の砂漠地帯のシンボルのようなサボテンだ。そのサワロの群生地を1933年から保護してきたのがサワロ国立公園Saguaro National Park。本日の最初の目的地が、ツーソンTucsonの郊外にあるそのサワロ国立公園。

  サワロ公園Saguaro National Parkは、ツーソンTucsonの町を挟んで西部のツーソン・マウンテン地区Tucson Mountain Districtと、東部のリンコン・マウンテン地区Rincon Mountain Districtの二つに分かれている。まず向かったのが西部地区Tucson Mountain District
  サボテン公園Saguaro National Parkの中を車で周遊し、できれば公園内を張り巡らせている遊歩道を少し歩いてみたい。その後、西部地区の公園事務所の近くにある、西部劇の町を再現したテーマパーク「オールド・ツーソンOLD TUCSON」で夕方まで過ごす、というのが本日のプラン。
  AZ77を下り、そのサワロが丘陵地の斜面に現れ、しばらく車を進めると2車線に。さらに3車線になるころには、ツーソン郊外の住宅街に入っている。町の北からアプローチし、市街地に入ったあたりで、サワロ公園方面へ向かう予定だ。



   その道路がアイナ・ロードIna Road、右折して西へ向かいI-10をくぐるとすぐ右手に予約を入れたモーテルが…あった。インターステーツ248出入口もあった。一瞬のことだが、これでとりえず安心。そのまま西へ進む。しだいにサワロ・サボテンSaguaroが現れ、ウェイド・ロードWade Roadで左折して南へ向かう頃には人家がさらにまばらになり、もう公園内?というぐらい。道路のすぐ脇にもサワロがごく自然に生えている。
  ピクチャー・ロックス・ロードPicture Rocks Roadに入ってすぐ、少し小山にかかったあたりから、サワロ公園内に入っているはずなのだが、何の看板も目印もないまま。知らないうちに公園を走っている。

 このあたり、立派なサワロSaguaroは見かけないが、2、3m程度のサワロや、背丈の低いチョヤChollaと呼ばれる種類のトゲがいっぱいついたサボテンや、うちわのようなプリッキー・ピアPricky Pearと呼ばれるサボテンなどが生え、結構公園内らしいたたずまいだ。



  ピクチャー・ロックス・ロードPicture Rocks Roadに入って2マイルほど行ったところで、ゴールデン・ゲート・ロードGolden Gate Roadと名付けられた未舗装道路に入り、公園の中心部に向かう。

 サワロはだんだん巨大になって、小高い丘の緩やかな斜面にゆったりと点在し、足元にはとげのついたチャヨChollaやプリッキー・ピアPricky Pearのような背丈の低いサボテン。車から降りて、周囲を見回すと、サワロSaguaroが点在する荒野は丘の稜線から、その裾野のはるか彼方まで壮大に広がっていた。





   そんな中で、思わずカメラを向けたのがサワロSaguaroのてっぺん付近に咲いていた濃いピンク色をした可愛い花。その花を目当てに鳥もやってきていた。この花、5月ごろがシーズンらしい。









   それにしても、照りつける日差しの強さ、その突き刺すような熱線、かすかに吹き抜ける風も、熱波。ツーソン・マウンテン地区Tucson Mountain District の中心、Red Hills Visiter Center近くにある Scenic Bajada Loop Driveの小高い丘、Sus Picnic Areaまで車で登り、軽く歩き回る程度が精いっぱい。このループ・ドライブ周辺にはいくつもトレイルがあるが、わずか1km足らずのトレイルさえ、歩いてみようと気持ちにもならない。こんな暑いところを歩いてみたところで、見るものはサボテンくらいしかないのだし…。

  そこで、さっさと建物も日陰もある映画村へ行くことにした。サワロが群生する公園に隣接する場所にあるので5分とかからない。すぐに到着した、が、どうも変だ。車が一台も停まっていない。
  「あちゃー、今日は休館日だったのか」。チケット売り場まで行って、よく確かめもしないで決めつけたのだが、これが大失敗のも元。「明日また出直し、まだ1時過ぎだし、明日の予定だったツームストンTombstoneへ今から行こう。確かOK牧場O.K.Corralのガンファイト・ショーが4時ごろからあったはず。いまからだと間に合うよ。」

  臨機応変、フレキシブルに予定を変更したつもりだったが、実は、翌日再び訪れると、またも休館。え~、一体どうなってるの。後で調べてみたら、何と5月末から10月に入るまで、ズーッと閉館。そんなバカな、夏休みなのに?!そう、日本人的な感覚ではまったく考えもしなかった事態だったのです。
   アリゾナ南部の観光シーズンは秋から春のウィンター・シーズン。夏場は暑すぎてシーズン・オフだというのです。6月から9月の最高気温の平均は華氏100度(摂氏37.8度)というんだから、そりゃもっとも。確かに暑い。

   そんな事情もよ~く調べず、ノコノコやってきたのだから、当然の報いです。ちなみに、日本のガイドブックは「真夏の日中は40度前後まで気温が上がるので、もし夏に訪れなら、夕方がいい」というような表記になっています。
  いずれにしろ、「オールド・ツーソン」の入口を見ただけ。


   未練がましいですが、「オールド・ツーソンOLD TUCSON」は1939年にウィリアム・ホールデンWilliam Holden、ジーン・アーサーJean Arthur主演の「Arizona」撮影のため、コロムビア映画Colombia Picturesが1860年代のツーソンの町をそっくり再現。撮影終了後数年間は休眠状態だったが、1945年からは毎年のように映画のセットとして使われ「ウインチェスター73Winchester'73」「OK牧場の決闘Gunfight at the O.K.Corral」やジョン・ウエインJohn Wayneの「リオ・ブラボーRio Bravo」。198090年代にはテレビのセットなどにも使われた、西部劇の映画村。再現された町並では拳銃の曲撃ち、投げ縄ショーやガンファイトのスタントショーなど、西部劇がてんこ盛り-というようなことが、公式ホームページにある。

   というわけで、西部劇ファンだった、相棒と私には必見のスポットだったのですが。調べて計画を立て、予約を入れ始めたのが2月、3月。6月がこんなにも灼熱状態で、シーズン・オフに突入するなんて、考えもしなかったので、まったくノーマーク。ちょっと愚痴っぽくなりましたね。
  さて、6日はそんなこととはつゆ知らず、急ぎ一路、ツームストンへ向かうことに。Kinny Roadを下ってAZ87に入りI-19経由でI-10の東行きへ合流。50マイル近く走ってベンソンBenson西郊外の303出入口でAZ80をメキシコ国境に向かった。

  AZ8030分あまり走ると、道路の右手前方に「O.K.CORRAL」の文字と拳銃を向けた4人の男をあしらった巨大看板が見えてきた。



  すぐに「ENTRANCE TOMBSTONE ELEVATION 4539 FOUNDED 1879(ツームストン入り口 標高4539フィート、1879年設立」の標識も。






   いよいよ、ツームストンTombstone。AZ80を道なりに行くと、町の中心街に入った。AZ80はツームストンの町を北西から南東へ抜けているが、その一つ南の通りが、O.K. Corralや、古い町並みを保存、再現したアレン通りAllen St
  サード通り3rd Stからアレン通りAllen Stへアプローチする。アレン通りは車通行止めなので、そのまま行き過ぎ、サード通りに路上駐車した。見回すとのどかな田舎町、駐車禁止マークもないようだし、ポツポツ車も駐車中、これなら問題はいだろう。



   目の前にかつてのツームストンのコートハウス(裁判所)の古い建物があったので、のぞいてみる。1882年に、Cochise郡の裁判所として建てられた建物で、1929年に郡庁がツームストンTombstoneからビスビーBisbee(AZ80をさらに南へ20マイルほど、メキシコとの国境に近い町)に移されるまで、裁判所として機能した歴史的な記念物。








   
   今は州立歴史公園State Historic Parkになっていて、中には裁判所や監獄、中庭に、絞首刑台(傍らには「7 MEN DIED」のプレート。処刑された、1884年5人、1900年2人の名前が記されている。オリジナルは1912年に解体され、近年復元されたものだそうだ)も。当時はシェリフの事務所も入っていたそうだ。でも、この建物が完成する1年ほど前に、実は「OK牧場の決闘」は終わっていた。
  ブラブラ50mほど歩いてアレン通りへ。左手の公園の先に目指すO.K.CORRAL」の看板が見えた。建物正面から見ると、間口もそんなに広くない雑貨屋さんのようなたたずまい。中はどうやら入場料が取られるみたいだ。ガン・ファイト・ショーはどこでやるんだろう…。



  O.K.Corralの先には、古い木造の西部の町並が続いている。まだ時間がありそうなので、とりあえず、もう少し町を歩いてみることにする。
  O.K.Corralは町のメーンストリートの端にあり、ここから広い道を挟んで両側に西部の町が200mほど連なっている。ほとんど土産物屋や、レストラン、サルーンなど。

  この旅で、ルート66の町Oatman や、オレゴン・トレイルのサウスパス・シティーなど、何回か西部の町並に遭遇したが、ここは大掛かりで本格的。



 Visitor&Information Center の立派な建物。2階にテラスが付いた家。スイング・ドアのサルーンなどが並ぶアレン通りを馬に引かれた馬車が通る姿はさまになっている。


  なにしろ「1870年代から1880年代にかけての辺境の町の町並みが最もよく保存された例」として、1961年に国の歴史建造物地区National Histric Landmark Districtの指定を受けたほどの町並だそうだ。








 ツームストンTombstoneは英語でtomb=墓 stone=石。何とも殺伐とした名前だが、一山当てようとやってきた採掘者が「この地で見つける石は彼の墓石(ツームストーン)ぐらいだろうよ」と言われたことによるとか。

 しかし墓石どころか、1877年に銀が見つかり鉱山の町として注目を集めアッという間にブーム・タウンboom townに。1879年に正式な町になると、「OK牧場の決闘Gunfight at the O.K.Corral」が行われた1881年ごろは、実は人口は1万人を超える大都市に膨れ上がった。1883年にはセントルイスSt.LouisからサンフランシスコSan Fransiscoまでで最大の人口の町とまで言われたという。しかしこのころが町の絶頂期。1880年代中盤に入ると銀鉱は掘り尽くされ、以降急速に凋落。

  そのおかげで歴史的建造物地区に指定される町になったのだが。
  土産物屋をのぞいたりしていると、町並みの中心部あたりに黒い上着をなびかせたガンマン風の男たちが現れ、町をブラブラ歩き回っている。どうやらショータイムが近づいたらしい。「アープ兄弟Earp Brothers」たちが、町の見回りをしている様子。

   
   で、ビビル相棒をけしかけて、アープ兄弟Earp Brothers&ドク・ホリデイDoc Hollidayの保安官4人組と一緒にチャッカリと記念撮影。しばらくすると、クラントン兄弟Clanton Brothers組らしきグループも現れ、さっそく保安官組と言い争いしながら、O.K. Corral 方面へ少しずつ向かっていく。

  私たち観光客も彼らの後をゾロゾロ。O.K. Corralの前で激しくやりあうと、スーッとO.K. Corralの建物内に入っていった。なるほど、そういうことか。ここから先は、有料ショーというわけ。なかなかスマートな客寄せに、私たちもマンマとその手に乗って、入場料を払って入ってみた。


  事務所を抜けると中庭になっていて、左手に鍛冶屋や馬小屋が並び、その先の板囲いの通路を抜けると右手に売春宿(Prostitutes Crib)があって、その奥が、ガンファイトのあった小屋のあるちょっと広い中庭。銃を撃ちあった保安官4人組とクラントンClanton&マックローリー兄弟McLaury Brothersの立ち位置が人形で示してある(ちょっとチャチだったが)。
   どこで、ショーが始まるのだろう、でも2030人ほどの人が何となく列を作って待っていた。意外な人数にちょっとびっくり。列はどうなってるの?キョロキョロしていると、カウボーイ姿のお兄さんが現れ、板塀の一角を開けると左手に建物のセット、右手に階段式の観客席のオープン・ステージが現れた。私たちは階段を登るがおっくうで最前列に。
   さて、どうなりますか-すぐに決闘が始まるのかと思いきや、女の子が何やらペラペラしゃべり、クラントン家の若い男の子といい感じのやりとりがあり、そこへドク・ホリデイがからんできて、ドク・ホリデイの独白があったり。クラントン&マックローリーの若い者が、拳銃さばきの腕比べをやりだしたり。延々とやっているかと思ったら、黒の長いコート風の上着を着た保安官のワイアット兄弟がいきなり現れ、チョットしたやりとりの直後に「ドンドン、ドンドン、ドンドン…ドン」。わずか数秒でクラントン&マックローリー側は全員KO。保安官組が姿を消し、女の子の悲しげな独白で幕-。
   さんざん、下手な?芝居につき合わされ、肝心のガンファイトは、なんだかよく事情をよく把握できないうちに、一瞬でケリ。これはちょっと「え~…」でした。でも、史実は映画のように延々と続く銃撃戦なんてことはなく、至近距離からの撃ち合いでケリがついたのだというのですから、仕方ないですね。事実は、映画のようになかなかドラマチックにはいかないようです。
   映画とは違うぞ!ついでにもう一つ。

  映画「Gunfight at the O.K. Corral」の日本タイトルは「OK牧場の決闘」ですが、「O.K.Corral」は「牧場」というイメージには程遠いです。

   確かに辞書にも「牛など家畜を入れておく囲い」という趣旨の訳が出ていています。ま、中庭ぐらいの囲いがあり、隣接して鍛冶屋や干し草なども収納する馬小屋などが付いているような施設だったみたいです。

   昨日、キャニオン・ディ・シェイから化石の森公園へ移動するときに立ち寄ったハッブル・トレーディング・ポストHubbell Trading Postにも、交易所に隣接して、同じような施設がありました。 馬が最高の輸送手段だった西部では、馬のメンテなどをしてくれる施設はある種、必須だったのでしょう。
   時計は5時過ぎ。ガンファイトも終わったので、そそくさと引き上げる。でも事前の調べが行き届いていなくて、AZ80沿いの町の北外れにあるブートヒル墓地Boothill Graveyardを見逃し。ガンファイトなどで亡くなった男たちが葬られた町の墓地で、O.K.Corralで撃たれたマックローリー兄弟McLaury Brothersら3人もここに眠っているのだそうだ。用意していた資料に目を通せば書いてあったのに。ま、この旅ではこんなことよくありましたが。それにしても、それなりに目立つ看板もあったようなのに、残念ですが帰りの道でもまったく気が付きませんでした。

 後は、ツーソンTucsonのモーテルへ一目散。 


  チェックインして部屋へ。やっぱり安いだけのことはあった。バスタブの排水がうまく機能していないのだろう、バスタブにたまった水がなかなか流れない。シャワーは使えるが、お風呂として使うとお湯があふれてしまう。でも部屋は明るくてゆったりしている。冷蔵庫はなかったが、アイスキューブで冷たいビールも飲める。ま、文句はない。


 シャワーを浴びてビールを飲んで、夕食にでも行きますか。午後8時を回っており、外はすっかり暗くなっていた。


  夕食はモーテルに隣接するデニーズで、ビビル相棒はお肉たっぷりのメキシカン。

  明日は最後の一日だが、暑さもさることながら、何より車のことが気になるので遠出はやめ、東部のサワロ公園と「オールド・ツーソン」と、市街地近郊の予定。

  その「オールド・ツーソン」この時はまだ夏休みとは知らなかったですが。何やかやとありますが、さてどうなりますか。


   さて、ここからは本日のおまけ。

 ツームストンTombstoneを出て、ツーソンTucsonのモーテルに戻るまで、ハプニングが3つも。アメリカ西部をドライブ旅行しているとこんなこともあるんだ、というお話。付録です。

   まず、AZ80を出て少し、路上に出来た臨時検問所のようなところで停めたられた。今度は一体何?スピード・オーバー、それとも一旦停止義務違反?一瞬、いろんな最悪のケースが、フラッシュのように脳裏をかすめ飛んで行った。係官がいるのは助手席側。恐る恐る窓を開けるとパスポートの提示を求められ、「助手席に座っているのは何者だ」「妻です」「彼女とはいつから一緒に行動している」「???アメリカ入国以来いっしょですが…」「それはいつか」「エーッと、パスポートに記載してあると思いますが」「ズーッと一緒か」「はい、そうです」「よろしい、行ってください」
   一体何だったの???ロスに戻って友人に聞いたところ、メキシカンの女性を妻だと偽り不法入国させるケースが多いので、メキシコ側から入ってくる女性を厳しくチェックしているのだそうだ。メキシコにいる母親が危篤になり、里帰りしたら何年もアメリカへ再入国できない女性がいる、なんてケースもあるんだそうだ。だから、ツームストンへ向かう時には検問がなかったのだが、それにしてもツームストンへ向かうときには道路の真ん中にある検問所に全然気がいていなかったのですから、呑気なものです。

   これがツームストンTombstoneを出て数マイル。国境からだと30マイルあまり、というところ。その後、ベンソンBensonまで行きI-10に。交通量の多いインターステーツ西へ向かい快調にツーソンTucsonを目指していると、二つ目のハプニング。

 時速70マイルほどで超高速走行中に何と、いきなり「ばんばんばんばん」というすごい音が。
   一瞬、パンク?!と思ったが、走行は安定している。ハンドルが取られるようなこともない。しかし高速走行中にいきなり停車するわけにいかず、スピードを徐々に落とし40マイルぐらいで走りながら、音がどこからするのか探ってみる。

 バックミラー、サイドミラーで見る限り、問題の個所は分からない。音がするのはどうやら前方部下部。スピードが落ちると「ばん、ばん、ばん」という感じで、音が少し穏やかになった。早く停まって調べてみたいが、高速道路上、簡単には安全に停車できそうな場所はない。さらに30マイルぐらいまで落としながら、数分走って、やっと路肩に駐車できそうなスペースが見つかった。
   あわてて車を降りて車を見回すと、やはり前方に異常。エンジン下のプラスティック製のカバーがフェンダー側から外れ落ち、ブラブラとぶら下がっていた。ぶら下がったカバーが路面で跳ね返り車体を打ち付けていたのだ。このカバーは、イエローストンYellowstoneの駐車場で車止めに少し乗り上げ、少し破損したところ。(日記を読み直してみると、5月31日、オールド・ファイスフルOld FaithfulからマンモスMammothへの移動中の出来事でした)

   かなり破損がひどい。とりあえず、3、4カ所で割れたカバーを何とかフェンダーの下に差し込んだ固定してみた。しかし走行中の振動で、カバーが再度フェンダーから外れると、またぶら下がり状態になる。それがどれくらいもつのか。簡単に外れるようだと、かなり面倒だ。最悪、レンタカー会社に連絡して、代車を用意してもらうことにもなりかねない。とりあえず、これで走って、どこまで持つのかやってみるしかない…。

   最後の最後で、とんでもないハプニング。祈るような気持ちで車を動かしてみる。スピードは抑え気味に、そろりそろり。なんとかツーソン市内に戻ってきて、とりあえず無事、248番出入り口までたどり着いた。
   何と何とここで、またもヒヤリ。

 インターステーツから側線に入りIna Roadを左折してインターステーツのガード下をくぐれば今日の宿舎、というところで信号が変わりそうだったので、安全運転で停車したところ、すぐ直後を走っていた車が、私たちの車にもう少しで追突。私たちの車がそのまま交差点に突っ込むと思っていたらしい。後続車は急ブレーキでハンドルを左に切って危ういところでセーフ。それをバックミラーで見ていて思わず息をのんだ。
   旅の最後にきてちょっとドッキリの連続。車を停めるとすぐに車をおりてすぐに車体下のカバーをチェック。恐る恐るのぞいてみると、カバーがずれている気配なし。結構、しっかり固定しているようだ。明日一日走ってみて大きな問題がなさそうなら、このままロスまで帰れそう。でもまだまだ、気は抜けない。
   昨日、一昨日…何かなかったか。そうだ、前日、ハッブル・トレーディング・ポストHubbell Trading Postに寄った後、道路上にあったバンドか棒のようなものを、避け切れずにひいてしまい「ばん」とかなり大きな音を立てたことがあった。その時は何ともなかったようだったが、破損がひどくなり、今日のようなハプニングになったのだろうか。
   保険はフル・カバレッジでかけてあるが、どこまでカバーしてくれるんだろう。日本だと、免責とか、休業補償とか言って、保険をかけていても数万円から10万円ぐらい取られたりする例もあるとか。また、警察の事故証明が必要、と言われることもあるらしい。

 アメリカではそのあたりの細かいところがどうなっているのか。 いくらか取られるのだろう。考え始めると次々と心配事、気になることが出てきてキリがない。

  最後の最後にきて、心の平安を乱すトラブルです。


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