2013年11月23日土曜日

アメリカ西部の旅
2012年6月6日



ショー・ローShow LowからUS60で、アパッチ自治区を北東から南西のグローブGlobe目指して山越え。

グローブGlobeでAZ77に道を替え、山を下って西部劇でおなじみのツーソンTucson。町を挟んで東西2カ所に分かれたサボテンが群生するサワロ国立公園Saguaro National Parkへ。まずは市街地を挟んで東西2カ所に分かれた西側。Ina Roadから公園内に通じるPicture Rocks Roadを経て公園内のGolden Gate RoadからScenic Bajada Loop Driveを巡る。サボテン原野を散策するトレイルはあるが、とにかく暑い。車で回り、サボテンの写真を撮るのが精いっぱい。

あまりの暑さに、近くにある、太秦映画村のように、西部劇時代のツーソンTucsonの町を再現したという施設「オールド・ツーソンOld Tucson」に避難しようと、のぞいてみると、何とお休み。

そこで、「OK牧場の決闘Gunfight at the O.K. Corral」の舞台・ツームストンTombstoneを訪ねることに。Kinney Roadを下りAZ86からI-10へ。Bensonの町外れの304番でインターステーツを降りてAZ80、南を目指す。

メキシコMexicoとの国境の北30マイルほどにあるOK牧場の町、ツームストンTombstoneへ。大きな「O.K. Corral(OK牧場)」の看板が右手に見えてくるとすぐに町。町の中心部に300~400メートルほど西部の町が、その町並みの西の端にOK牧場があった。その日最期の決闘再現ショーを見終わると午後5時ごろ。ツーソンに戻って今日も一日が終わった。

このドライブも残すところいよいよあと2日、か。

走行距離=372マイル



宿:アリゾナ州 Red Roof Inn Tucson North  $89.78(連泊、2泊分)

給油:$20  アパッチの森、US60沿いの町Globechevronのスタンド。
夕食:モーテル近くのデニーズ$20.25
入場料: OK牧場$20、ツームストン裁判所$10  
買い物:帽子など土産$22.97





めっけもののモーテルKCを出て、Show LowからUS60Globeを目指す。

 山また山を越えて行くこの道は、ネイティブのホワイト・マウンテン・アパッチWhite Mountain Apache 族が住む「Fort Apache Reservation」を北東から南西へ貫き、さらにその南に隣接する「San Carlos Apache Reservation」の境界線を縫うように続いている。ここはアパッチたちの森なのだ。


 アパッチApache といえば、スー族sioux(中西部サウス・ダコタSouth Dakota州にReservationがある)とともに、最後まで白人に激しく抵抗した誇り高く、勇猛なネイティブとして西部劇でもおなじみの種族。特にジェロニモGeronimoの名は有名だ。
 アパッチにはたくさんの部族があり、アリゾナ州南部からメキシコにかけての山岳部を中心に住んでいたという。White Mountain Apacheはもちろんその一部族。ここも前日のNavajo Nationと同様、独自の行政機構を持つである。
 ちなみに、ジェロニモGeronimoの部族は現在のメキシコにいた部族で、メキシコを中心にアリゾナ州南部にかけて活躍したらしい。

 道は結構きつい。山肌をジグザグに左から右へ、右から左、再び左から右へ、折り返し越えて行く。川を渡り山を越え、高度を上げて1時間あまり。峠から望む山並みは緑が美しい。




 緩やかに下りながらGlobeの郊外でAZ77へ。さらに乾燥した高原を下っていくと、山には樹木に変わってサボテンの姿が見えてくる。モニュメント・バレーが西部劇の一方の代表的な風景だとすると、もう一つの代表はサボテンがまばらに生える荒地を行く光景。マカロニ・ウエスタンの世界だ。

 サボテンと言ってもいろいろな種類があるが、西部劇でおなじみのサボテンはスックリと地表から立ち、途中から枝分かれした腕が何本か伸びる、ちょっととぼけた大きなおじさんが万歳でもした後ろ姿のような、サワロSaguaroと呼ばれるサボテンのこと。

 アリゾナ南西部の砂漠地帯のシンボルのようなサボテンだ。そのサワロの群生地を1933年から保護してきたのがサワロ国立公園Saguaro National Park。本日の最初の目的地が、ツーソンTucsonの郊外にあるそのサワロ国立公園。

  サワロ公園Saguaro National Parkは、ツーソンTucsonの町を挟んで西部のツーソン・マウンテン地区Tucson Mountain Districtと、東部のリンコン・マウンテン地区Rincon Mountain Districtの二つに分かれている。まず向かったのが西部地区Tucson Mountain District
  サボテン公園Saguaro National Parkの中を車で周遊し、できれば公園内を張り巡らせている遊歩道を少し歩いてみたい。その後、西部地区の公園事務所の近くにある、西部劇の町を再現したテーマパーク「オールド・ツーソンOLD TUCSON」で夕方まで過ごす、というのが本日のプラン。
  AZ77を下り、そのサワロが丘陵地の斜面に現れ、しばらく車を進めると2車線に。さらに3車線になるころには、ツーソン郊外の住宅街に入っている。町の北からアプローチし、市街地に入ったあたりで、サワロ公園方面へ向かう予定だ。



   その道路がアイナ・ロードIna Road、右折して西へ向かいI-10をくぐるとすぐ右手に予約を入れたモーテルが…あった。インターステーツ248出入口もあった。一瞬のことだが、これでとりえず安心。そのまま西へ進む。しだいにサワロ・サボテンSaguaroが現れ、ウェイド・ロードWade Roadで左折して南へ向かう頃には人家がさらにまばらになり、もう公園内?というぐらい。道路のすぐ脇にもサワロがごく自然に生えている。
  ピクチャー・ロックス・ロードPicture Rocks Roadに入ってすぐ、少し小山にかかったあたりから、サワロ公園内に入っているはずなのだが、何の看板も目印もないまま。知らないうちに公園を走っている。

 このあたり、立派なサワロSaguaroは見かけないが、2、3m程度のサワロや、背丈の低いチョヤChollaと呼ばれる種類のトゲがいっぱいついたサボテンや、うちわのようなプリッキー・ピアPricky Pearと呼ばれるサボテンなどが生え、結構公園内らしいたたずまいだ。



  ピクチャー・ロックス・ロードPicture Rocks Roadに入って2マイルほど行ったところで、ゴールデン・ゲート・ロードGolden Gate Roadと名付けられた未舗装道路に入り、公園の中心部に向かう。

 サワロはだんだん巨大になって、小高い丘の緩やかな斜面にゆったりと点在し、足元にはとげのついたチャヨChollaやプリッキー・ピアPricky Pearのような背丈の低いサボテン。車から降りて、周囲を見回すと、サワロSaguaroが点在する荒野は丘の稜線から、その裾野のはるか彼方まで壮大に広がっていた。





   そんな中で、思わずカメラを向けたのがサワロSaguaroのてっぺん付近に咲いていた濃いピンク色をした可愛い花。その花を目当てに鳥もやってきていた。この花、5月ごろがシーズンらしい。









   それにしても、照りつける日差しの強さ、その突き刺すような熱線、かすかに吹き抜ける風も、熱波。ツーソン・マウンテン地区Tucson Mountain District の中心、Red Hills Visiter Center近くにある Scenic Bajada Loop Driveの小高い丘、Sus Picnic Areaまで車で登り、軽く歩き回る程度が精いっぱい。このループ・ドライブ周辺にはいくつもトレイルがあるが、わずか1km足らずのトレイルさえ、歩いてみようと気持ちにもならない。こんな暑いところを歩いてみたところで、見るものはサボテンくらいしかないのだし…。

  そこで、さっさと建物も日陰もある映画村へ行くことにした。サワロが群生する公園に隣接する場所にあるので5分とかからない。すぐに到着した、が、どうも変だ。車が一台も停まっていない。
  「あちゃー、今日は休館日だったのか」。チケット売り場まで行って、よく確かめもしないで決めつけたのだが、これが大失敗のも元。「明日また出直し、まだ1時過ぎだし、明日の予定だったツームストンTombstoneへ今から行こう。確かOK牧場O.K.Corralのガンファイト・ショーが4時ごろからあったはず。いまからだと間に合うよ。」

  臨機応変、フレキシブルに予定を変更したつもりだったが、実は、翌日再び訪れると、またも休館。え~、一体どうなってるの。後で調べてみたら、何と5月末から10月に入るまで、ズーッと閉館。そんなバカな、夏休みなのに?!そう、日本人的な感覚ではまったく考えもしなかった事態だったのです。
   アリゾナ南部の観光シーズンは秋から春のウィンター・シーズン。夏場は暑すぎてシーズン・オフだというのです。6月から9月の最高気温の平均は華氏100度(摂氏37.8度)というんだから、そりゃもっとも。確かに暑い。

   そんな事情もよ~く調べず、ノコノコやってきたのだから、当然の報いです。ちなみに、日本のガイドブックは「真夏の日中は40度前後まで気温が上がるので、もし夏に訪れなら、夕方がいい」というような表記になっています。
  いずれにしろ、「オールド・ツーソン」の入口を見ただけ。


   未練がましいですが、「オールド・ツーソンOLD TUCSON」は1939年にウィリアム・ホールデンWilliam Holden、ジーン・アーサーJean Arthur主演の「Arizona」撮影のため、コロムビア映画Colombia Picturesが1860年代のツーソンの町をそっくり再現。撮影終了後数年間は休眠状態だったが、1945年からは毎年のように映画のセットとして使われ「ウインチェスター73Winchester'73」「OK牧場の決闘Gunfight at the O.K.Corral」やジョン・ウエインJohn Wayneの「リオ・ブラボーRio Bravo」。198090年代にはテレビのセットなどにも使われた、西部劇の映画村。再現された町並では拳銃の曲撃ち、投げ縄ショーやガンファイトのスタントショーなど、西部劇がてんこ盛り-というようなことが、公式ホームページにある。

   というわけで、西部劇ファンだった、相棒と私には必見のスポットだったのですが。調べて計画を立て、予約を入れ始めたのが2月、3月。6月がこんなにも灼熱状態で、シーズン・オフに突入するなんて、考えもしなかったので、まったくノーマーク。ちょっと愚痴っぽくなりましたね。
  さて、6日はそんなこととはつゆ知らず、急ぎ一路、ツームストンへ向かうことに。Kinny Roadを下ってAZ87に入りI-19経由でI-10の東行きへ合流。50マイル近く走ってベンソンBenson西郊外の303出入口でAZ80をメキシコ国境に向かった。

  AZ8030分あまり走ると、道路の右手前方に「O.K.CORRAL」の文字と拳銃を向けた4人の男をあしらった巨大看板が見えてきた。



  すぐに「ENTRANCE TOMBSTONE ELEVATION 4539 FOUNDED 1879(ツームストン入り口 標高4539フィート、1879年設立」の標識も。






   いよいよ、ツームストンTombstone。AZ80を道なりに行くと、町の中心街に入った。AZ80はツームストンの町を北西から南東へ抜けているが、その一つ南の通りが、O.K. Corralや、古い町並みを保存、再現したアレン通りAllen St
  サード通り3rd Stからアレン通りAllen Stへアプローチする。アレン通りは車通行止めなので、そのまま行き過ぎ、サード通りに路上駐車した。見回すとのどかな田舎町、駐車禁止マークもないようだし、ポツポツ車も駐車中、これなら問題はいだろう。



   目の前にかつてのツームストンのコートハウス(裁判所)の古い建物があったので、のぞいてみる。1882年に、Cochise郡の裁判所として建てられた建物で、1929年に郡庁がツームストンTombstoneからビスビーBisbee(AZ80をさらに南へ20マイルほど、メキシコとの国境に近い町)に移されるまで、裁判所として機能した歴史的な記念物。








   
   今は州立歴史公園State Historic Parkになっていて、中には裁判所や監獄、中庭に、絞首刑台(傍らには「7 MEN DIED」のプレート。処刑された、1884年5人、1900年2人の名前が記されている。オリジナルは1912年に解体され、近年復元されたものだそうだ)も。当時はシェリフの事務所も入っていたそうだ。でも、この建物が完成する1年ほど前に、実は「OK牧場の決闘」は終わっていた。
  ブラブラ50mほど歩いてアレン通りへ。左手の公園の先に目指すO.K.CORRAL」の看板が見えた。建物正面から見ると、間口もそんなに広くない雑貨屋さんのようなたたずまい。中はどうやら入場料が取られるみたいだ。ガン・ファイト・ショーはどこでやるんだろう…。



  O.K.Corralの先には、古い木造の西部の町並が続いている。まだ時間がありそうなので、とりあえず、もう少し町を歩いてみることにする。
  O.K.Corralは町のメーンストリートの端にあり、ここから広い道を挟んで両側に西部の町が200mほど連なっている。ほとんど土産物屋や、レストラン、サルーンなど。

  この旅で、ルート66の町Oatman や、オレゴン・トレイルのサウスパス・シティーなど、何回か西部の町並に遭遇したが、ここは大掛かりで本格的。



 Visitor&Information Center の立派な建物。2階にテラスが付いた家。スイング・ドアのサルーンなどが並ぶアレン通りを馬に引かれた馬車が通る姿はさまになっている。


  なにしろ「1870年代から1880年代にかけての辺境の町の町並みが最もよく保存された例」として、1961年に国の歴史建造物地区National Histric Landmark Districtの指定を受けたほどの町並だそうだ。








 ツームストンTombstoneは英語でtomb=墓 stone=石。何とも殺伐とした名前だが、一山当てようとやってきた採掘者が「この地で見つける石は彼の墓石(ツームストーン)ぐらいだろうよ」と言われたことによるとか。

 しかし墓石どころか、1877年に銀が見つかり鉱山の町として注目を集めアッという間にブーム・タウンboom townに。1879年に正式な町になると、「OK牧場の決闘Gunfight at the O.K.Corral」が行われた1881年ごろは、実は人口は1万人を超える大都市に膨れ上がった。1883年にはセントルイスSt.LouisからサンフランシスコSan Fransiscoまでで最大の人口の町とまで言われたという。しかしこのころが町の絶頂期。1880年代中盤に入ると銀鉱は掘り尽くされ、以降急速に凋落。

  そのおかげで歴史的建造物地区に指定される町になったのだが。
  土産物屋をのぞいたりしていると、町並みの中心部あたりに黒い上着をなびかせたガンマン風の男たちが現れ、町をブラブラ歩き回っている。どうやらショータイムが近づいたらしい。「アープ兄弟Earp Brothers」たちが、町の見回りをしている様子。

   
   で、ビビル相棒をけしかけて、アープ兄弟Earp Brothers&ドク・ホリデイDoc Hollidayの保安官4人組と一緒にチャッカリと記念撮影。しばらくすると、クラントン兄弟Clanton Brothers組らしきグループも現れ、さっそく保安官組と言い争いしながら、O.K. Corral 方面へ少しずつ向かっていく。

  私たち観光客も彼らの後をゾロゾロ。O.K. Corralの前で激しくやりあうと、スーッとO.K. Corralの建物内に入っていった。なるほど、そういうことか。ここから先は、有料ショーというわけ。なかなかスマートな客寄せに、私たちもマンマとその手に乗って、入場料を払って入ってみた。


  事務所を抜けると中庭になっていて、左手に鍛冶屋や馬小屋が並び、その先の板囲いの通路を抜けると右手に売春宿(Prostitutes Crib)があって、その奥が、ガンファイトのあった小屋のあるちょっと広い中庭。銃を撃ちあった保安官4人組とクラントンClanton&マックローリー兄弟McLaury Brothersの立ち位置が人形で示してある(ちょっとチャチだったが)。
   どこで、ショーが始まるのだろう、でも2030人ほどの人が何となく列を作って待っていた。意外な人数にちょっとびっくり。列はどうなってるの?キョロキョロしていると、カウボーイ姿のお兄さんが現れ、板塀の一角を開けると左手に建物のセット、右手に階段式の観客席のオープン・ステージが現れた。私たちは階段を登るがおっくうで最前列に。
   さて、どうなりますか-すぐに決闘が始まるのかと思いきや、女の子が何やらペラペラしゃべり、クラントン家の若い男の子といい感じのやりとりがあり、そこへドク・ホリデイがからんできて、ドク・ホリデイの独白があったり。クラントン&マックローリーの若い者が、拳銃さばきの腕比べをやりだしたり。延々とやっているかと思ったら、黒の長いコート風の上着を着た保安官のワイアット兄弟がいきなり現れ、チョットしたやりとりの直後に「ドンドン、ドンドン、ドンドン…ドン」。わずか数秒でクラントン&マックローリー側は全員KO。保安官組が姿を消し、女の子の悲しげな独白で幕-。
   さんざん、下手な?芝居につき合わされ、肝心のガンファイトは、なんだかよく事情をよく把握できないうちに、一瞬でケリ。これはちょっと「え~…」でした。でも、史実は映画のように延々と続く銃撃戦なんてことはなく、至近距離からの撃ち合いでケリがついたのだというのですから、仕方ないですね。事実は、映画のようになかなかドラマチックにはいかないようです。
   映画とは違うぞ!ついでにもう一つ。

  映画「Gunfight at the O.K. Corral」の日本タイトルは「OK牧場の決闘」ですが、「O.K.Corral」は「牧場」というイメージには程遠いです。

   確かに辞書にも「牛など家畜を入れておく囲い」という趣旨の訳が出ていています。ま、中庭ぐらいの囲いがあり、隣接して鍛冶屋や干し草なども収納する馬小屋などが付いているような施設だったみたいです。

   昨日、キャニオン・ディ・シェイから化石の森公園へ移動するときに立ち寄ったハッブル・トレーディング・ポストHubbell Trading Postにも、交易所に隣接して、同じような施設がありました。 馬が最高の輸送手段だった西部では、馬のメンテなどをしてくれる施設はある種、必須だったのでしょう。
   時計は5時過ぎ。ガンファイトも終わったので、そそくさと引き上げる。でも事前の調べが行き届いていなくて、AZ80沿いの町の北外れにあるブートヒル墓地Boothill Graveyardを見逃し。ガンファイトなどで亡くなった男たちが葬られた町の墓地で、O.K.Corralで撃たれたマックローリー兄弟McLaury Brothersら3人もここに眠っているのだそうだ。用意していた資料に目を通せば書いてあったのに。ま、この旅ではこんなことよくありましたが。それにしても、それなりに目立つ看板もあったようなのに、残念ですが帰りの道でもまったく気が付きませんでした。

 後は、ツーソンTucsonのモーテルへ一目散。 


  チェックインして部屋へ。やっぱり安いだけのことはあった。バスタブの排水がうまく機能していないのだろう、バスタブにたまった水がなかなか流れない。シャワーは使えるが、お風呂として使うとお湯があふれてしまう。でも部屋は明るくてゆったりしている。冷蔵庫はなかったが、アイスキューブで冷たいビールも飲める。ま、文句はない。


 シャワーを浴びてビールを飲んで、夕食にでも行きますか。午後8時を回っており、外はすっかり暗くなっていた。


  夕食はモーテルに隣接するデニーズで、ビビル相棒はお肉たっぷりのメキシカン。

  明日は最後の一日だが、暑さもさることながら、何より車のことが気になるので遠出はやめ、東部のサワロ公園と「オールド・ツーソン」と、市街地近郊の予定。

  その「オールド・ツーソン」この時はまだ夏休みとは知らなかったですが。何やかやとありますが、さてどうなりますか。


   さて、ここからは本日のおまけ。

 ツームストンTombstoneを出て、ツーソンTucsonのモーテルに戻るまで、ハプニングが3つも。アメリカ西部をドライブ旅行しているとこんなこともあるんだ、というお話。付録です。

   まず、AZ80を出て少し、路上に出来た臨時検問所のようなところで停めたられた。今度は一体何?スピード・オーバー、それとも一旦停止義務違反?一瞬、いろんな最悪のケースが、フラッシュのように脳裏をかすめ飛んで行った。係官がいるのは助手席側。恐る恐る窓を開けるとパスポートの提示を求められ、「助手席に座っているのは何者だ」「妻です」「彼女とはいつから一緒に行動している」「???アメリカ入国以来いっしょですが…」「それはいつか」「エーッと、パスポートに記載してあると思いますが」「ズーッと一緒か」「はい、そうです」「よろしい、行ってください」
   一体何だったの???ロスに戻って友人に聞いたところ、メキシカンの女性を妻だと偽り不法入国させるケースが多いので、メキシコ側から入ってくる女性を厳しくチェックしているのだそうだ。メキシコにいる母親が危篤になり、里帰りしたら何年もアメリカへ再入国できない女性がいる、なんてケースもあるんだそうだ。だから、ツームストンへ向かう時には検問がなかったのだが、それにしてもツームストンへ向かうときには道路の真ん中にある検問所に全然気がいていなかったのですから、呑気なものです。

   これがツームストンTombstoneを出て数マイル。国境からだと30マイルあまり、というところ。その後、ベンソンBensonまで行きI-10に。交通量の多いインターステーツ西へ向かい快調にツーソンTucsonを目指していると、二つ目のハプニング。

 時速70マイルほどで超高速走行中に何と、いきなり「ばんばんばんばん」というすごい音が。
   一瞬、パンク?!と思ったが、走行は安定している。ハンドルが取られるようなこともない。しかし高速走行中にいきなり停車するわけにいかず、スピードを徐々に落とし40マイルぐらいで走りながら、音がどこからするのか探ってみる。

 バックミラー、サイドミラーで見る限り、問題の個所は分からない。音がするのはどうやら前方部下部。スピードが落ちると「ばん、ばん、ばん」という感じで、音が少し穏やかになった。早く停まって調べてみたいが、高速道路上、簡単には安全に停車できそうな場所はない。さらに30マイルぐらいまで落としながら、数分走って、やっと路肩に駐車できそうなスペースが見つかった。
   あわてて車を降りて車を見回すと、やはり前方に異常。エンジン下のプラスティック製のカバーがフェンダー側から外れ落ち、ブラブラとぶら下がっていた。ぶら下がったカバーが路面で跳ね返り車体を打ち付けていたのだ。このカバーは、イエローストンYellowstoneの駐車場で車止めに少し乗り上げ、少し破損したところ。(日記を読み直してみると、5月31日、オールド・ファイスフルOld FaithfulからマンモスMammothへの移動中の出来事でした)

   かなり破損がひどい。とりあえず、3、4カ所で割れたカバーを何とかフェンダーの下に差し込んだ固定してみた。しかし走行中の振動で、カバーが再度フェンダーから外れると、またぶら下がり状態になる。それがどれくらいもつのか。簡単に外れるようだと、かなり面倒だ。最悪、レンタカー会社に連絡して、代車を用意してもらうことにもなりかねない。とりあえず、これで走って、どこまで持つのかやってみるしかない…。

   最後の最後で、とんでもないハプニング。祈るような気持ちで車を動かしてみる。スピードは抑え気味に、そろりそろり。なんとかツーソン市内に戻ってきて、とりあえず無事、248番出入り口までたどり着いた。
   何と何とここで、またもヒヤリ。

 インターステーツから側線に入りIna Roadを左折してインターステーツのガード下をくぐれば今日の宿舎、というところで信号が変わりそうだったので、安全運転で停車したところ、すぐ直後を走っていた車が、私たちの車にもう少しで追突。私たちの車がそのまま交差点に突っ込むと思っていたらしい。後続車は急ブレーキでハンドルを左に切って危ういところでセーフ。それをバックミラーで見ていて思わず息をのんだ。
   旅の最後にきてちょっとドッキリの連続。車を停めるとすぐに車をおりてすぐに車体下のカバーをチェック。恐る恐るのぞいてみると、カバーがずれている気配なし。結構、しっかり固定しているようだ。明日一日走ってみて大きな問題がなさそうなら、このままロスまで帰れそう。でもまだまだ、気は抜けない。
   昨日、一昨日…何かなかったか。そうだ、前日、ハッブル・トレーディング・ポストHubbell Trading Postに寄った後、道路上にあったバンドか棒のようなものを、避け切れずにひいてしまい「ばん」とかなり大きな音を立てたことがあった。その時は何ともなかったようだったが、破損がひどくなり、今日のようなハプニングになったのだろうか。
   保険はフル・カバレッジでかけてあるが、どこまでカバーしてくれるんだろう。日本だと、免責とか、休業補償とか言って、保険をかけていても数万円から10万円ぐらい取られたりする例もあるとか。また、警察の事故証明が必要、と言われることもあるらしい。

 アメリカではそのあたりの細かいところがどうなっているのか。 いくらか取られるのだろう。考え始めると次々と心配事、気になることが出てきてキリがない。

  最後の最後にきて、心の平安を乱すトラブルです。


2013年11月3日日曜日

アメリカ西部の旅
2012年6月4日



ワイオミングWyomingを出発し南へ。今日はコロラドColorado、ユタUtahを抜け、アリゾナArizona州まで4州を股にかけての大移動。出来る限り真っ直ぐに道を選ぶとこんなルートに。それにしてもUS191にはお世話になりました。

ロック・スプリングRock Springを出てUS191を南へ、Flaming Gorge National Recreation Areaあたりでユタ州。バーナルVernalでUS40を東に向かい、今度はコロラド州入り。恐竜化石で名高いダイナソー国定公園Dinosaur National  Monumentの町、ダイナソーDinosaurからCO64を南へ、Rengelyの町外れで今度はCO139。山道をDougras Passで越えてグランド・ジャンクションGrand Junctionの少し西、I-80の15番入口で久しぶりのインター・ステートInter State Hwy。
西へ向かいそのまま再びユタ州入り。182番入口で出て、US191でアーチーズ公園Arches National Parkや、懐かしいMoabの町を通過。Blanding、Blufを過ぎ、本日4番目の州アリゾナへ。砂漠の真っただ中のトレーディング・ポストTrading Post、メキシカン・ウオーターMexican Waterで人間も車もしばし休憩。砂漠の中をUS191で本日のゴール、チンリChinleへ。


Blandingの町ではスピード違反でパトカーのお世話になる「思い出深い」体験あり、11時間のドライブは印象深い一日でした

走行距離=525マイル


宿:アリゾナ州 Best Western Canyon de Chelly  $130.56

給油:25.25 Utah州のUS191沿いFlaming Gorge Lakeに近い町 Dutch John 
     $20 UtahMoab の町中のガス・ステーション  
     $20 Arizona州 US191沿い、砂漠の中のMexican Water Traiding Post
夕食:ホテルに隣接したピザハットPizza Hutでピザ&サラダ$24.2 

買い物:土産用Tシャツ$31.09  ジュースなど$3.31


  朝7時10分、モーテルMotel 6発。ロック・スプリングRock Springからまずユタ州Vernalを目指す。 

  US191の山道をFlaming Gorge National Recreation Areaへ。Flaming Gorge Damで生まれた巨大な湖を右に見て高原をドライブ。

  山を一気に下ってSteinaler  State  Prakの人口湖の湖岸を抜けるとVernalの町。ここらから道はUS40

  町を出てしばらく行くと「Utah Welcome Center」の建物。
  ユタ州の観光案内所。この施設の北からコロラド州Dinosaurにかけて広がるDinosaur National Monument、そうダイナザウルス、恐竜の化石で有名な公園のユタ州側のビジターセンターを兼ねている。




  グリーンリバーGreen Riverの上流にあたる川を渡り、少し行くと道路左手脇に恐竜公園の一部山塊が望める小高い展望台。ここから記念の写真をパチリ。実は、ここで一泊して恐竜公園を訪ねてみるのもいいかなと少し迷った公園。










  コロラド州Coroladoに入るとすぐにDinosaurの町。この町でUS40から今度はCO64へ。見渡す限り大平原という感じのでっかい大地の中を一直線に地平線の彼方まで続く道-こんな景色もすっかり慣れっこになった私は淡々と70マイルほどのスピードで対向車もほとんどない道を飛ばすだけ。でもビビル相棒は、こんなでっかい大地の風景が大好きで、盛んに車内からカメラで草原と空と雲を撮っている。
Rangelyの中心街。典型的な西部の町並だ
  インターステーツ以外の道は、郊外は65マイル以上だが、町が近づくと、最高スピードを示す道路標識が一気に45マイル、30マイルとダウンする。Rangelyの町に入り30マイルまでダウンした最高スピードが、再び45マイルと上がり始める町の東外れからCO139方面へ右折。ここからは直線的にDouglasPass(8240フィート)を越えて、コロラド州中央部を東西に貫くI-70を目指す。  
   荒野に敷かれた道路と前方だけを見て黙々と運転していると、10分、20分単位でもあまり変化あるようには思えない。こういう時は危ない。まだ午前中だからもっているけど、午後は睡魔に要注意だ。睡魔までいかなくても、注意力が落ちてくる。アメリカの知人に勧められ、このドライブに出る前、スーパーのドラッグ・コーナーで買っておいた眠気防止剤がなかなか効く。
  カフェインが主原料の無味無臭の錠剤、飲むと2030分もしないうちに、ぼんやりしていた視界すっきりしてくる。ちょっと距離の長い移動時には、すっかりお世話になっている。
   助手席のビビル相棒は、居眠りの名人だが「せっかくアメリカへ来て眠ってしまうともったいないから」と、今回のドライブ前半ではたまに薬の力を借りている。この分なら今日は「ヤク」のお世話になりそうだ。

  徐々に高度を上げるに従い、少し樹木が多くなるが、基本は乾燥した荒地。峠付近で正午近くになったので、道路脇に止めてお昼タイム。
  このドライブ旅行3日目あたりから定番になってきた昼食メニュー。薄い小型パンにチーズ&ハムとオレンジジュース。ハムもチーズもあまりおいしいと思わないが、オレンジジュースは別、これだけはいつ飲んでもしっかりおいしい。
  車の外に出ると暑い。エンジンを切らず、クーラーを掛けておかないと、とても車内にはいられない。日差しがジリジリ刺すようだ。

  緑深い峠から一気に山道を下り、美しい緑の畑の中を抜け、グランド・ジャンクションGrand Junction西にあるLomaという小さな集落外れの15番入口から久々のインターステーツ、I-80に入り西へ、再びユタ州を目指す。

  キャピタル・リーフCapital Reef公園からアーチーズArches公園へ回ったときにお世話になったI-80Crescent Junction(ユタ州)で降りてUS191を南下する。5月29日朝に出発して以来1週間ぶりに見るMoabの町。2泊した「Silver Sage Inn」の看板が何だか懐かしい。近くでガス補給。
   町を出て10マイルほど行くと、左手の赤い岩に「HOLE N THE ROCK」白いペイントでデカデカと書かれたドライブ・インのような施設。この裏のpicnic  areaでトイレ休憩。
 この岩だけでなく、モアブMoabの町を出て以来、ずーっと、はるか彼方や、道路近くにアーチーズ公園で見たような赤みを帯びた岩々の丘が続く。
 さらに行くと大きなアーチが現れた。アーチーズ公園から随分と離れているが、ここはちょっと知られたアーチらしく、それなりの人だかり。
  車を停めて歩いてみると「Wilson Arch」とある。アーチを背景に記念撮影。行けども行けども似たような景色の連続。こんなちょっとした変化も今はありがたい。

  突然ですが、トラブルです。
  午後2時から3時ごろ、一日でも最も要注意の時間帯。アンチ・ドーズ剤(居眠り防止のカフェイン剤)も飲んで、運転に集中していたつもりだったのですが、警察に停められてしまいました。実は不思議なことに、車を停めた前後のこと以外、当時の記憶はほとんど残っていないのです。どの町の出来事だったのかも覚えていないほどです。それほど動転していたのでしょうか。ビビル相棒さんによるとそれはBlandingの町だったそうです。
  ご機嫌で大学生時代に、自転車で九州を一周したことを話していたそうです。それで注意が散漫になったのでしょうか…
  自動車専用道のインターステーツを除くとどの町でも、町が近づくと急激なスピードダウンが求められます。60マイル以上から4530と矢継ぎ早に道路標識が出てきます。もちろんブレークを踏まないと間に合いません。町の中心街は30マイル、どの町でもそうです。
  町に接近すると、どの車もルールをよく守っています。このあたりからは記憶があります。この時、アクセルは踏んでいなかったのですが、ブレーキも踏まず、徐々にスピードが落ちていくのに任せていました。前に車がいなかったので、安心していたのだと思います。なので、町の中心部に入りかけたあたりで40マイル以上は出ていたはずです。
  すると、対向車線を走っていたパトカーがUターン、私の車の後方に回った。しまった!と思って、バックミラーを見ると、どうも私の車の後を付いてくるようだ。
  パトカーから車を停めろという指示はまだなかったのですが、すぐに路肩に停めました。するとパトカーも車を停め、お巡りさんが車から降りてやってきた。「やっちゃったー?」
  窓を開け、「スピード出しすぎ?」訪ねると「そうだね、免許証とIDを」。やっぱりやっちゃいましたか。
  スーッと血の気が引く思いでした。
  免許証とパスポートを渡した後、車を降りて「かなり出てました?」「だいぶオーバーしていたね」やりとりしていると、何とビビル相棒がカメラを構えて私たちを撮ろうとしている。慌てて「やめなさい!」
  本当に何をやらかすやら。こんなところで警官を刺激しないでくださいよ。
  警官は免許証とパスポートをしばらく眺めていたが、穏やかな表情で「OK」と言って、そのまま返してくれる。エ?切符を切らないの?それって。「??OKって…」「行っていいよ」「いいんですか。本当に?」「ありがとう。スピードには気をつけますよ」「そうだね、出しすぎないように」もちろん、急いで車に乗り、スピードを出しすぎないよう、ゆっくりと発進!
  こんなことってあるの?後で、アメリカの友人に聞いたら「外国人の場合、罰金の取り立てや違反切符の処理など、警察側もいろいろ面倒なことがある。それに手続している間に帰国しちゃうなんてこともあるでしょう。なので多少のことは見逃してくれることがあるみたいだね。ただし、悪質だと判断されたら、いきなり拘束されて留置所に放り込まれることになる。そうなったら大変よ。いずれにしても、十分気を付けたほうがいいね」。
  これがBlandiingという町での出来事。スピード違反で車を停められる前後から「OK行っていいよ」といわれるまでのことは、気味が悪いほど鮮明に覚えているのですが、それ以外のことは、完全に記憶から消えているのです。
  ビビル相棒がメモを残しておいてくれなかったら、いつごろ、どこで起きたことなのか、まるで分からなかったほど、実に奇妙な記憶なのです。それほど強烈な出来事だったのでしょう。それにしても、10万円ぐらいの宝くじに当たったような気分でした。

  余談だが、グランド・ティトンGrand Tetonで、レンジャーの車に停止命令を受けながら、なかなか停止せず、追い掛け回されていたアジア人の乗った乗用車を見かけた。国立公園内では、レンジャーが警察官の職務も代行をしているそうなので、ご用心。彼らはどんな対応を受けたのだろう。

   この町を出た南にUS191に沿って空港があって、その外れでUS95が合流する。このUS95は、5月22日にグランド・キャニオンGrand Canyonからモニュメント・バレーMonument Valley、ナチュラル・ブリッジNatural Bridgeと回って、Bluffの町に宿を取った時、ナチュラル・ブリッジNatural Bridgeから走った道。
   ここでUS191に合流し、20マイルほど先にあるBluffまで今日と同じ道を走ったはず。しかし同じ道を2度も走っているのに、この日もどんな景色の中を走ったのか、全く記憶がない。
   記憶に残っているのは、Bluffの町の少し手前で、ユタUtah、アリゾナArizona、コロラドCorolado、ニューメキシコNew Mexicoの4州の州境が交わる「FOUR CORNER」という名所への分かれ道が荒野砂漠のど真ん中にあったこと。
 そこで一瞬、寄り道したらどうなるかな?頭をよぎったが、スピード違反で捕まったばかり、ゆとりを持って安全運転、寄り道なんてとんでもない!
  ちょっと懐かしい、モーテル(Kokopelli Inn)を横目にBluffの町を通過。西郊外でUS191に沿って左折。(直進すれば5月22日に通ったUS163になり、メキシカン・ハットMexican Hatからモニュメント・バレーMonument Valleyへ)荒野砂漠の真っただ中を駆け抜け、ユタ州からアリゾナ州Mexican Water を目指す。

地図には「メキシカン・ウォーターMexican」とあるので、町があるのかと思っていると、周囲には畑や樹木もない、乾燥しきった荒地のど真ん中に「Mexican Water Traiding Post」と書かれたガス・ステーション兼ゼネラル・ストアがあるだけ。一帯は、相当広範囲なエリアがナバホ族の自治区「Navajo Nation」でもある。すぐ近くに川(通常、水は見えないが、その周辺に筋になって緑が茂っている)があり、南北をつなぐUS191と東西を結ぶUS160が交差する要衝だが、ざっと見渡す周囲には家一軒ないのに、ランドリーが併設されているのが面白いような奇妙なような。
  このドライブで、ガス・ステーションが時たま「トレーディング・ポスト」だったことがあったが、ここまであまり気にもしてなかった。でも、こんなところに存在する「トレーディング・ポスト」という存在にちょっと興味をひかれた。
  トレーディング・ポストのことは、実は明日も出てくるので、詳細はそちらで。いずれにしても、この先、確実にガス・ステーションがありそうな町(今日の泊まりのチンリchinle)まで何十マイルもある。ガソリンはまだ余裕で半分以上あったが、給油に立ち寄り。トイレも借りて、店内をうろうろ。
 360度グルリ、雑草がショウボショボ生えているだけの半砂漠状態の荒野、その真っただ中をひたすら、地平線の向こうに消えるつぎはぎだらけのコンクリートの道を追いかけて車を走らせる。
  10マイルほど直線が続き、少しカーブすると今度は15マイルほど直線…窓の外の景色は、ブッシュの生えた砂地混じりの荒地から、岩場の荒地へ…いずれにしてもまともな作物に恵まれそうにない厳しい大地。


  それでもロック・ポイントという小さな小さな集落があり、もう少し人家が集まったラウンド・ロックという集落も。ここでUS191は右へ大きくカーブ。
  
  ポツリポツリと人家が現れ、大地には人の営みが続く。メニー・ファームズMany Farms の集落を通過するとすぐに本日のドライブのゴール、チンリChinleの町。信号のある交差点を左折すると今日のねぐら着。それにしても信号なんて、モアブの町以来だったかな。
  たどり着いたベスト・ウエスタン。100㌦を越すだけあって落ち着けるいい部屋だったのだが、小さなトラブル。カード式のキーがうまく作動しなくて、簡単に部屋へ入れてくれない。係員がやってきて差し込むと、開く。キーを替えてくれたが、ちょっとしたコツがあるようで、簡単には開いてくれず、部屋の出入りのたびにてこずるのはご愛嬌?
  町はナバホ族の自治区「Navajo Nation」にあるため、アリゾナ州とは1時間の時差があるのがちょっと面白い。
  「Navajo Nation」は、実はユタ州南部からアリゾナ州の東北部とニューメキシコ州の北西部を占める広大な地域で、私たちがこれまで訪ねてきた、モニュメント・バレーや、グレン・キャニオン・ナショナル・モニュメントのアンテロープ・キャニオン、もちろん先ほど通ってきたばかりのメキシカン・ウォーターなどすべてが含まれる。

  この町のすぐそばにあるキャニオン・ディ・シェイももちろんエリア内。
 でも、走って実感できるのは、このエリアは本当に荒野砂漠の連続。馬の放牧を見かけた程度。「インディアン」と呼ばれた時代から今と同じような厳しい風土だったのだろうか。 

  そんなわけで、ここのモーテルやレストランの従業員などもネイティブ・アメリカンがほとんど。ホテルのお土産品コーナーでネイティブの意匠を施したグッズが並んでおり、ビビル相棒はネイティブ風の刺繍を施したTシャツなどを購入。そう、そろそろ旅も終わりに近い、買い忘れた土産はないか、そんなことも気になるころだ。

  夕食はホテルに隣接するファミレス・タイプのレストラン。ピザハットPizza Hutのメニューもある面白いところ。なので、本日のメニューは4人前はありそうな巨大なピザと、大皿に山盛りサラダ。大満腹、大満足。25ドルでお釣りがきました。




 それにしてもUS191には随分お世話になりました。イエローストーン公園Yellowstone National Park、グランド・ティトンGrand Tetonでお世話になってからしばらく離れていたと思ったら、サウス・パスSouth Passで再開、アーチーズArchesでまたまたお世話になってからはズーッと191。明日もしばらく191です。調べてみるとUS191はカナダ国境からメキシコ国境までアメリカを縦断していました。こんな道路がほかに、多少あるようですが。

 明日は公園を二つ訪ねて、さらに南へ。