2013年12月9日月曜日

アメリカ西部の旅
2012年6月5日

朝早く、Chinleの町に隣接するキャニオン・デ・シェイ公園Canyon de Chelly National Monumentへ。
穏やな緑の谷のサウス・リム・ドライブSouth Rim Driveをオーバールックoverlook(展望台)を訪ねながら東の端、スパイダーロック・オーバールックSpider Rock Overlookまで。
US191に戻って化石の森Petrified Forestを目指して南へ。Ganadoという小さな田舎町でハッベル・トレーディング・ポストHubbell Trading Postに立ち寄り。国立公園National Parks Serviceが管理する歴史的記念物Historic Site、西部開拓時代の交易所Trading Post。思いのほか印象深い。
Chembersの町でI-40、西進して311番出入り口がペトリファイド・フォレスト(化石の森)Prtryfied Forest National Park国立公園。公園を北出入り口から南出入り口のUS180まで、灼熱の下のドライブ&トレイル。化石になった巨大なかつての樹木が乾燥しきった台地のあちこちでゴロゴロ転がるちょっと不思議の世界。灼熱のそんな化石のトレイルも歩きました。
公園からUS180
、AZ61を経て山道をショー・ローShow Lowまで。この旅で宿探しをするまで、存在さえ知らなかった高原の町はチェーンのスーパーやホームセンターなども並ぶ大きな町だった。



走行距離=252マイル


宿:アリゾナ州 ショーローShow Low  Motel KC  $67.61

給油:$20  Ganadoの町で

夕食: – (モーテルの部屋でレトルトのカレーとスーパーで買ったサラダ) 

買い物:ヨーグルト、夕食用のサラダなど$14.4







  昨日、わざわざ頑張ってロング・ドライブしたのには、ユタ州方面からやってくると、キャニオン・ディ・シェイ公園の周辺には、チンルChinleを除けば100マイルほど宿泊施設がない、という事情もある。



  でも昨日頑張った分、今日は100マイル分、1時間半~2時間のゆとりができる。このゆとりを使って、今日は公園を2カ所回るプランにした。そんなわけで、今日も少しあわただしい。








  朝いちばんでホテルのすぐそばにあるキャニオン・ディ・シェイ公園を訪ねる。公園ゲートを抜けるとすぐに道が分かれているが、その谷の縁を走る右手の道、サウス・リムの道路を巡り展望台を順に訪ね、谷を遠望する。








 公園は200メートルほどの断崖の谷が北と南にV字型に20~30キロほど続き。谷はネイティブたちが古くから畑や牧畜の地として開拓、ナバホ族がこの地にやってくる以前、アナサジと呼ばれる人たちが断崖の窪みに築いた家も遺跡として残っている。
 


  谷と言えば、山の峰々があり急峻な谷がある。穏やかな谷は、山もなだらかな丘陵地になってしまう。そういう谷の景色しか知らなかった私には、アメリカの谷の景色は、実際に目にするまでうまく想像できない景色だった。


  そのチャンピオンがグランド・キャニオン。

  一面の真平らな大地が隆起し、高地となり、そこを川が流れ、高地を削り取って深い谷を作る。雨が少ないので、先がとがった山々がなく、真平らな台地からいきなりドカンと川が削り取った深い谷となる峡谷が生まれる。

  その後、アリゾナ北部からユタ州南部にかけて広がる、乾燥地帯の高地で次々と同じような谷の風景を目にした。ナチュラル・ブリッジNatural Bridgeもそう。グレン・キャニオン・ダムGlen Canyon Damの下流で見たホースシュー・ベンドHorseshoe Bendもそう。少し離れて見ると、ただただ広大な平原が、近づいていくとその一部が突然消え去り、深い谷が現れ、その谷の向こうにはまた平原が広がる。なので、高台の平原では馬などを飼っているようで、放牧場になっていることもある。



  キャニオン・ディ・シェイCanyon de Chellyもそういう谷だった。


  しかし、グランド・キャニオンGrand Canyonや、ホースシュー・ベンドHorseshoe Bendなどと決定的に違うのは、谷の底が広く明るく開け、流れる川の水は豊かでなく枯れ川に近いが、緑は豊かだ。



   ユタ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコ4州の州境が1点に集まるフォー・コーナーズFour Corners周辺、ちょうど現在の「Navajo Nation」あたりを中心に活動していた古代のネイティブ、アナサジAnasazi族はこういう地形が好きだったらしく、メサ・ベルディMesa Verdeなどにも、キャニオン・ディ・シャイCanyon de Chellyと同様の遺跡が残っているそうだ。




 断崖の家といえばコロラド州メサ・ベルディ国立公園Mesa Verde National Parkのそれが名高いが、ユタ州で一度、同じような遺跡に遭遇している。5月22日に訪ねたナチュラル・ブリッジ公園Natural Bridgeで、枯れ川の底から立ち上がる断崖の窪みに家屋跡を見た。ナチュラル・ブリッジNatural Bridgeは川幅が狭く、隠れ谷という印象だったが、Canyon de Chelleyは川底というよりゆったり穏やかに広がる谷が造る優しい風景の中にある。



  キャニオン・ディ・シェイCanyon de Chellyの谷をもう少し正確に描写すると、公園西端のエントランス・ゲートentrance gateは川と同じ高さ。そこから東に向かうにつれて台地は徐々に高度を上げ、数マイルほどで、川底から200mほどの高度になる。

  ゲートを入るとすぐに北と南の二股に道が分かれているが、北の道を取ると道は川を渡ることになり、ゲートからの道はダラダラと登り道で、西から東へ移動するにつれて展望台の高度が上がっていく。


  ゲートから見どころの多い南の道を取る。まずTunnel Overlook。展望台といいながら、まだ谷はそれほど深くなく、谷へ続くトレイルも簡単下っていけそうだ。だから展望もあまりよくない。谷へ下りていくトレイルがあったがこちらは「立ち入り禁止」。




  まだ7時半を少し回ったところ。ナバホnavajoの子供やお兄さんが、地面に敷物を広げ、敷物の上やボンネットの上に陶器や薄い石片に画いた模様、装身具などを並べ始めていた。手作りのお土産。私たち以外にも1組、2組、観光客でやってくる。朝が早い。モニュメント・バレーでも、ビューポイントごとに、1カ所“1店”同じようにお土産品を並べ、店番をしていたナバホの少年たちがいた。みんな、積極的に声を掛けるわけでもなく、おとなしく座って淡々と客を待っている。商売っ気がないというか、こびないというか。ここも同じ。静かに客を待っている。






  すぐ隣のTsegi Overlookから、この谷らしい風景が現れる。垂直に立ち上がる断崖の下に緑あふれる明るく穏やかな谷に柔らかな朝日がふさわしい。丁寧に耕された畑地、牧草地、川筋に沿って緑豊かな並木。その谷間をゆっくり風が吹き抜けていく。谷底や周辺の台地には今もナバホの人たちがたくさんいて、人の営みが自然と溶け合っているのもやさしい風景を作り出している。まるで桃源郷を見つけたトレジャーハンターのような気分だ。



  Junction Overlookまで来ると、谷がさらに広がる。Y字型を描く谷の北と南の谷が合流するのがこのJunction Overlook付近。


  次が南の谷に沿ったWhite House Overlook。谷からの高度がさらに上がる。その足元の断崖の中ほどに、アナサジAnasaziの人たちが造った居住跡White Houseの遺跡がある。この展望台は遺跡まで下っていけるトレイルの起点にもなっている。




  谷はナバホnavajoの人たちの所有地で、きれいに耕され、観光客の私たちが勝手に歩き回ることができない。そのかわり、谷を訪ねるツアーがあるらしい。しかし、このWhite Houseの遺跡だけは観光客も自由に歩いて訪れることができるそうだ。(私たちは「パス」しましたが)



  次のSliding House Overlookも断崖の足元の中ほどにSliding Houseと名付けられた遺跡がある。説明板よると、ここは紀元900年から300年間にわたって使われたというから、平安時代あたりになるわけだ。


カラリと照りつける日差しの下、風に乗って緑豊かな谷をゆっくり滑空している鳥をぼんやり見下ろしていると、ふと、目の前の時間は数百年の間、止まったままだったのではないか、とさえ思えるほど。




  南側、最後の展望台がSpider Rock Overlook。スパイダーロックと名付けられた、谷から2本の煙突のように突き出た岩が景観にアクセントをつけている、キャニオン・ディ・シェイ公園で最も絵になる展望台。

  ここで出会った中高年のカップルに、写真を撮ってもらったり、撮ってあげたり。「英語がうまいよ」なーんてね、アメリカの人って、さり気ない社交辞令がうまい。いつも感心することだが、馬鹿正直な日本人にはちょっとまねができない芸当。




  一気にエントランス・ゲート付近まで戻り、ノースリムへ。一番手前のLedge Ruin Overlookまで行ってみた。当たり前のことだが、谷の風景は北から見ても南からでも、大きな違いがあるわけではなかった。

  このあたりで、キャニオン・ディ・シェイCanyon de Chellyから撤退。次のペトリファイド・フォレストPetrified Forestへ向かうことにする。

  ガイドブックやネットで情報収集しても、しょせん机上のプラン。ぶっつけ本番の旅なのだから、現地に立ってみると、予想外ということが多々ある。グランド・キャニオンGrand Canyonや、モニュメント・バレーMonument Valley、イエローストーンYellowstoneなど、情報量が豊富な公園でもそうなのだから。そうでないところは予定外の連続。

   例えば、グランド・ステアケース・エスカレンテGrand Staircase-Escalanteやキャピタル・リーフCapital Reefは、普通の乗用車では、公園内のごくごく一部しか見ることができない。本当の醍醐味は、四輪駆動車で未舗装路をたっぷりと走った先にある。時間と道具が必要ということを知った。

  道具はいらないが、自分の足で歩く時間があればもう少し違ったものを見ることができたのではないかと、少し心残りなのがキャニオン・ランズCanyonlandsと、ここキャニオン・ディ・シェイCanyon de Chellyの谷の風や空気を感じてみたかった。


 Chinleの町の信号のあるUS191に合流、ここから南へ下り、I-40を目指す。

 
 半砂漠の荒野を飛ばしていると、地平線の彼方が赤く霞んできた。砂嵐?近づくと、小さな竜巻が赤い砂舞い上げている。大した竜巻じゃなかったが、たまたま竜巻が道路を通り過ぎた直後を走り抜け、右手にミニ竜巻と間近で遭遇。



 
  Burnsideという小さな集落を過ぎ、Ganadoの町へ。予定には入れてなかったが、Habbell Traiding Postという国立歴史記念物 National Historic  Siteの交易所に寄ってみる。時間があれば寄ってみようと、リストアップしていたが、US191のすぐそばにあったので寄り道してみた。


  車を降りると、頭上から照りつける太陽の熱エネルギーが、昨日までのワイオミングとは明らかに違う感じ。湿度がないから、粘りつくような不快な暑さはなく、そのかわり体中を熱線が照射し瞬く間に体幹まで熱せられるような暑さ。Chinleの町やCanyon de Chellyは夕方と朝方だったので気が付かなかったが。

  トレーディング・ポストTrading Postは赤みを帯びた石を積み重ねた重厚な平屋建て。入口ドアの最上部に立派な角の牛?の真っ白な頭部の骨。その下にはネイティブの若者のプロフィール像。

  その時、偶然、店からネイティブの子供が老女の手を引き、荷物を抱えて出てきた。この場所で、このタイミングでこの配役。まるで、映画の1シーン。思わずシャッターを押した。





  店の内部は、外の暑さがうそのよう、予想外に居心地がいい。冷たいドリンク類から、壁の棚に缶詰や薬、天井などから馬具関連、さらに銃までがぶら下がり、ところ狭しと西部での生活必需の雑貨品が並ぶ。








   その隣の小部屋ではネイティブたちが作ったカーペットや陶器、装身具などが並んでいる。


  かつてのトレーディング・ポストの様子をできる限り保ちつつ、現在の人の買い物もできる店、という感じ。そうそう、サウスパス・シティで見た復元「オールド・タウン」のゼネラル・ストアと雰囲気がよく似ている。





  さらに、店の隣には倉庫、その先は鍛冶屋や飼料などを置いた馬などの小屋や囲い(corral)などが一続きになって並んでいる。人間だけでなく、蹄鉄を打つ鍛冶屋から馬具や馬車など、馬=交通のメンテまで賄った。

  トレーディング・ポストは当時の生活必需品がそろった場所であり、ネイティブたちから作物や毛皮などの買い付けもした文字通りTrading交易の場所だったという。






  歴史をちょっと調べてみる。すると、アメリカ政府によって、先祖伝来の土地を追い払われ、アパッチapache、コマンチcomancheなどの種族とともに強制的に移住させられていたナバホnavajo族の人たちの「Long Walk」と呼ぶ悲しい歴史があったことが分かる。

  1868年、やっとニューメキシコ州の居留地から、故郷の地に戻ることを認められたナバホnavajoの人たち、このGanado周辺などに定住。今の「Navajo Nation」が生まれる元になった、という。


  この店の主だったハッベル氏Habbellは、ナバホnavajo族の人たちがこの地に戻ってきた10年後にここを手に入れ、商売を始めた。トレーディング・ポストtrading postを何軒も持つ実業家だったハッベル氏Habbellは、商品を売るだけでなく、ナバホnavajo族の人たちたちが造った織物や焼き物、宝飾品などを積極的に買い付け。それがナバホ族の生活の糧になったらしい。1967年に、ハッベル家Habbellから国立公園が買い取り、歴史記念物 National Histric Siteとなり、National Park Service(NPS)の手で現役の交易所として運営されている。




  Ganadoの町の中心街でUS191は右折、後は乾燥した草原の大地を一直線に貫きChembersという小さな集落へ。ここでインターステーツI-40にのる。

 日本だと、一般道路と接続するインター・チェンジはちょっとした町だが、ユタ州やアリゾナ州ではガス・ステーションさえない無人の荒野に、一般道と接続する出入り口だけがあるというところが決して珍しくない。こういうところはインター・チェンジの番号だけで名前はない。そういうことではChembersという名前がついているだけでもまだまし。

 333番のChembersから西行きで311番口まで20マイル足らず。ペトリファイド・フォレスト国立公園Petrified Forest National Parkのゲートがある311番は「Petirfied Forest」の看板があり、公園へ続く道が乾燥した草地に敷かれ、その道を行くすぐ北側に公園事務所のわずかな建物が見える。sそれ以外は町も集落も、店一軒すらない。国立公園のゲートがあるっていうのに、名前もない、ただの311番IC。


  この旅の最初で説明したように、今回は国立公園の年間パス(80ドル)を購入しているので、カードとID(パスポート)をゲートで提示するだけ。このパスを使うのも、予定ではツーソンTucsonのサワロ国立公園「Saguaro National Park」と、さらに余裕があればメキシコ国境に広がる「Organ Pipe Cactus National Monument」にも行ってみたいから、最大でもあと2回。ずいぶんお世話になりました。

  化石の森公園Petrified Forest National Park内に入る。まずはPainted Desertから。雑草も生えない灰色や赤茶色の砂状の丘をめぐる。


   ユタ州やアリゾナ州北部などの、さらに色鮮やかな荒涼とした岩や砂状の丘陵が造り出すすごい景色を見慣れた肥えた目にはちょっと単調すぎて物足りない。

  第一、お目当ては化石になった大木が、ゴロゴロ転がるという「化石の森」の光景だが、ここにはない。


  すごい日差しの中で、赤茶色をした四角い土まんじゅうのようなPainted Desert Inn National Historic Landmarkの建物が目を引く。この建物、ニューメキシコNew Mexico州のサンタフェプSanta FeやアルバカーキーAlbuquerqueあたりの観光写真などでよく見かけるタイプ。プエブロ・リバイバル・スタイルPueblo Revival styleと言うんだそうだ。こんな建物があるだけでアリゾナArizona、ニューメキシコNew Mexicoらしい風景になる。

 

   1924年に宿屋として建てられたものが、一帯が国立公園組織に組み入れられた1930年代後半に、現在のようなプエブロ・リバイバル・スタイルPueblo Revival styleに改築されという。今は文化関係の展示物のミュージアムとブックストアとして使われているので気軽にのぞける。


   お目当ての化石の森を目指して南へ向かっていると、意外なところでオールド・ルートold route 66と再会。旅のスタートの日、5月20日にOakman、Kingmanと回ってSeligmanへ(そういえば、manのついた町ばかりでしたね)、I-40に沿って、ルートroute 66の町を訪ねたのに、すっかり失念していました。

   ここから60マイル、1時間ほど東へ行くと、歌にも出てくる「Gallap, New Mexico」。

    雑草が生えた大地に、わずかな窪みが真っ直ぐ西へ、東へ伸びているのが今も分かる。その窪みに沿って電信柱が続いている。かつてのルートroute 66が敷かれていたところだ。シカゴChicagoからロサンゼルスLos Angelesまで1週間もかかった時代、Painted Desert Innは格好の休憩所でもあったらしい。古い車のレプリカと、route 66のプレートの前で、次々に記念撮影する私たちと同年配のアメリカンたち。うれしそうに、シャッターを押してくれと頼まれ、ついでに私たちも撮ってくれる。楽しく気のいい人たちだ。




   道路I-40を越し、さらに少し行ってSanta Fe Railwayの鉄路を跨ぐ。この鉄道も、5月20日以来の再開。国道が走り、鉄路が走る。アメリカのシンボルであり、繁栄を築き上げた大動脈は確かにここを流れていたのだ。



   鉄路のすぐそばに先住ネイティブたちの住居跡や岩に絵などが残るPuerco Pueblo の遺跡やNewspaper Rockの遺跡がある。



   高台の展望台にある双眼鏡や丸い鉄パイプの筒をのぞくと、離れた岩肌に描かれた絵が見える。丸い鉄のパイプは望遠鏡ではないが、なるほど、ピンポイントで絵の描かれた場所が分かる。別々の方角を向いたパイプが何本もCanyon de Chellyなどでも展望台にあったが、単純な仕掛けで、効果抜群。





    駐車場へ引き上げたところで“事件”を目撃。若い男女の二人連れ、男の方がパーク・レンジャーpark rangerに厳しく問い詰められている様子。確か、展望台から出て絵が描かれた岩に近づいたりしていた若者だったように思う。男はかなり言い訳しているようだが、レンジャーは断固として受け入れない。女性の方はふてくされて、離れたところで座り込んでしまった。絵にいたずらでもしていたのだろうか。“現行犯で連行”され、これから調書でも取られそうな勢いだ。

   この公園は、かつて、化石になった木が、宝石として採取されたという歴史があることから、石などの持ち出しが禁止され、厳しく監視されていると聞いた。事実、この後、公園から出るときには、持ち出しがないかチェックも受けた。こんな厳しい公園、最初で最後。彼にはどんなお仕置きが待っているのだろう。

  Blue Mesa 。小高い丘からりちょっと青みを帯びたような灰色の砂岩丘に転がる化石の木を眺めながらぐるりと回り、展望台のある高台やってきた。暑い。時計は午後3時。ビビル相棒は、暑さにやられ、ノビル相棒になって、エンジンをかけたままでクーラーの効いた車から出てこない。



  広い展望台から見下ろすと、数十cmか1、2mほどの茶色の岩?丸太?が砂場に転がっているのが遠望できる。あれが化石の森ってやつ?化石の森というぐらいだから、もう少し巨大な丸太の岩がゴロゴロ転がっているのかと思っていたが、丸太というより、半分くらい灰色の砂に埋まった切れ端が、ポツンポツンと点在している感じ。


  周遊道路から見下ろす景色もいいが、歩いて石化木を間近で見てみたい…と思っていたら、ちゃーんと灰色の砂岩丘の谷間に降りていく遊歩道があった。砂岩丘を10~20mほど下り、谷底をぐるりと一周するトレイルのようだった。20~30分もあれば戻ってこれそうだ。水分を持ってこなかったが、これくらいなら大丈夫だろう。


  谷底に立つと、頭上から容赦なく照りつける太陽の光で、不毛の砂丘と石化木に落とす影もシャープだ。風もないのに、汗ひとつかかない。乾燥し切った空気を伝わってくる物音もない静まり返った世界。なんだか月か火星にたった一人で放り出されたような。奇妙な心細さ。

  いたるところに石化木が転がっている。いろんなところから石化木が顔を出す谷間を縫う小道を歩く。音もない、刺すような日差しにさらされた灰色の世界をたった一人ぼっち。思わずちょっと早足に歩いてしまう。

  よく見ると、地表に顔を出したばかりのもの、地表に出た部分がひび割れ斜面からずり落ちかけているもの、小高い平地に乗っかっているので長い塊のままひび割れせずにすんでいるもの。ただ転がっているように見える石化木も状態はさまざまだ。でもいったん地表に現れた石化木のほとんどは、風化が進むと自らの重みに耐えかね、ひびが入り、やがて1m前後で割れ欠けていくようだ。


  石になった木が、木の形をとどめていられるのはそれなりの条件が重ならないと難しい。ちょっとでも化石の下の土砂の風化が不均衡になり、傾斜やゆがみが出来ると、微妙なバランスが崩れ、自分自身の重みに耐えきれず割れてしまう。






  だから小さな川をまたいで架かる長さ12mの一本木の橋のように横たわる石化木はもう奇跡としかいいようがない。Blue Mesaに続いて訪ねたAgate Bridgeは、崩壊を心配して1917年に下部をコンクリートで補強されてしまったが、奇跡の姿をかろうじてとどめていた。




  Agate Bridgeのすぐ西にあるJasper Forestには、結構大きな3、4mはありそうな化石になった木や、青や赤、オレンジに黄色、白など鮮やかな色が入り混じった宝石のように見える木の化石が転がっている。






  いや、宝石のように見えるのではなく、Jasperいうのは石英でできたまさに宝石の一種として、碧玉という名前が日本名でも与えられている。一帯の化石になった木は、宝飾品として19世紀から20世紀初頭ごろ乱獲された歴史があるのだと、展望台に立つ説明版にあった。

  さらに南下する。次は化石になった木がごろごろ転がる中を縫って続くトレイルを歩くCrystal Forest=水晶の森。Jasper Forest とはよく似た化石が転がっているが、その密度が違う。10分や20分では歩きつくせないほどのなだらかな丘陵地一面、どこもかしこもゴロゴロと石が転がっているから圧巻。




  同じ化石になった木でも、いかにも木だ!とすぐに分かるもの、年輪の輪がそのまま化石になったもの、赤や青や黄色など色鮮やかな石で覆われたもの。さまざまな化石になった木があちこちに転がっている。「化石の森」にやってきた実感がわいてきた。

 


 このあたりで、少しだけ化石の森に関する地学の知識をまとめておこう。時代は今から2億2500万年前、三畳紀後期、当時大群生していた森の木が洪水などで倒れ、次々と積み重なり、そこへ火山灰をたっぷり含んだ土が水と流れ込み厚く土砂が覆う。そんなことが何度も何度も繰り返され、地下深くに眠ることになった森の木は、火山灰に含まれていたケイ酸などが水に溶け、長い時間をかけ二酸化ケイ素として木の成分と置き換わり、石になっていった。



  さまざまな色は鉄やマンガンなどの鉱物と二酸化ケイ素が反応して生まれたものらしい。地下にはまだまだ、何百メートルも二酸化ケイ素に置き換えられ、石になった木が眠っているという。

  ということで、正確に言うと、木が石になった=石化木というのは正しくなくて、樹木が原型を変えずそっくり二酸化ケイ素という硬い物質になったということで、ケイ化木というのだそうだ。

  ちなみに二酸化ケイ素で出来ている代表的な石=鉱物が石英、石英のうちでも特に透明度の高いものがクリスタル・水晶とよばれている。

  化石の森のケイ化木は19世紀から20世紀初頭ごろまで宝飾品として採取され、一帯はダイナマイトで爆破されるなど乱獲されたこともあったが、1906年にnational monumentに指定され、その後national parkとなり、現在は貴重な遺産として保護されている。



  暑さでヘロヘロになりながらも、Crystal Forestのケイ化木群でちょっと気力を奮い立たされ、さらに南ゲートの近くまで来ると、さらにさらに、何と!直径軽く1m以上、長さ数メートル、木の形がそのままで巨大な石になった化石群が、ゴロゴロと待っていてくれた。これこそ化石の森だ!とさらにテンション・アップ。

  Giant Logs と名づけられたこの一帯、一周10分か15分ほどのトレイルの周辺には、根っこ部分と思われるところまで化石になった巨大な化石まで転がっている。Crystal Forestからそれほど距離が離れているわけではないのに、同じケイ化木でも石の色や様子が少し違う。こちらのほうが、なんだか樹木らしさがより色濃く残っているような気がした。



  そうそう、そんな中でも、この周辺にはサボテンの仲間らしい植物がかなり目につきました。いよいよ、ディープなアリゾナに近づいて来たようだ。


  太陽はかなり沈み始め、時計の針も午後5時。かなりいい時間。本日のホテルは公園から1時間ほどの、Show Lowという町。


  ペトリファイド・フォレストPetrified ForestからツーソンTucsonへ、その路線上にあるホテルを探していたら、出てきたのがこの町。どんな町なんだか…怪訝な思いで地図を見ると、結構な交通の要衝のようだった。









   南ゲートからUS180へ出て南東へ。AZ61を経てUS60で西へ。砂漠の乾燥地帯からちょっと山へ入る。現れた緑豊かなけっこう大きな町にびっくり。さらに、ここのモーテルが67ドルというのに、何から何までそろって、部屋もゆったり。今回のトップ3入り確実かも、というほどの充実モーテルだった。

  ビビル相棒の日記には

    とても安いのに感じがよいフロント。部屋広く、バスタブ付き。他の電化製品もそろう。フロント      でこちらの名前を言う前に「Tadashi」と言われたのも、これで17泊間泊まったうちで初めてのこ      と、驚いた。

   すぐ近くにはチェーン店の大きなスーパーなどもある。めっけもの。歩いて行けるエリア内のレストランにも事欠かなかったが、本日の夕食はあえてカレー。

   ロスで、友人の知人から「3週間も旅行していたら日本食が懐かしくなるから」と頂いたレトルト・カレー&白いご飯。でも日本食が恋しい、なんてことは一度もなくここまでやってきた。残り後2泊、そのまま持って帰るのも申し訳ないし…ということで、スーパーでサラダとワインを買い、部屋にあったレンジでカレー&ライスを「チン」して、ビールとワインをいただきながら、ノンビリと部屋食でした。


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