アメリカ西部の旅
2012年5月20日
2012年5月20日
アメリカ西部の旅、出発だ。LAの西、Ventura Countyを出て東へ、LA市街地を抜け、I-15からI-40でアリゾナを目指す。
カリフォルニア州と州境、コロラド川を渡ってすぐ、アリゾナ州Needles。ここからいよいよオールド66、Oatman-Topock Hwy でオートマンOatmanへ。
昼食の後Oatman roadをへてルート66の町として有名なキングマンKingmanの町を通過、町外れでAZ66へ。時たま鉄道と並行しながらオールド66を走る。66沿いの小さな集落をたどりながら66の町seligmanへ。
走行距離=470マイルカリフォルニア州と州境、コロラド川を渡ってすぐ、アリゾナ州Needles。ここからいよいよオールド66、Oatman-Topock Hwy でオートマンOatmanへ。
昼食の後Oatman roadをへてルート66の町として有名なキングマンKingmanの町を通過、町外れでAZ66へ。時たま鉄道と並行しながらオールド66を走る。66沿いの小さな集落をたどりながら66の町seligmanへ。
宿:アリゾナ州seligman(Supai Motel $75.25)
給油:$25.8=Phelan CA $27.18=Crazy Fred’s Kingman
昼食:Oatman $21.90
夕食: $25.00
買い物: ビールなど $15
記念すべき旅の第1泊はルート66の小さな町seligman。思っていた以上に小さなアメリカの田舎町。6車線はありそうな大きな通りの両脇に2軒ほどのモーテルと1軒のゼネラル・ストア、2軒のレストランの鮮やかなネオンサインが真っ暗な夜空に浮かび上がっている。ここが町の中心。道路に沿って、ポツポツと家らしい明かりが微かに見える。「ボー」という汽笛、ガタンガタンガタンガタン列車がレストランの裏を走り抜けていく。小さな静かな町、これがルート66の町なんだ。
やってきたSeligmanは町のメーンストリートは200mほど。ルート66が通る町の中心街の40~50mほど南を鉄道が走っている。そういえばアリゾナのルート66は鉄道が平行して走っていることが多い。I-40沿いのKingman、Williamsなどのルート66の町は、今も鉄道の駅とワンセット。KingmanからI-40から大きく外れたPeach Springsを経てSeligmanに至るルート66もずっと鉄道と並んで走っていた。こんな景色も、このあたりのルート66が、西部開拓時代から20世紀へと続くアメリカ近代の歴史の道を感じさせてくれる理由だろう。
LA郊外を抜けI-15からI-40とインターステートを駆け抜け、アリゾナ州に入ってすぐ、Needlesからオールド66に入った。まずはルート66の立派な案内板の前で記念撮影。
岩の丘陵地帯を地形のままに、曲がりくねり、上り下りしながら続く道は、マシンの力で山を削り、橋をかけて一直線に突き進む現代の道路と違って、地形のまま自然と共存しながら進む「旧街道」そのもの。道路の痛み具合もいい感じ。う~ん、オールド・ルート66だ。
そんな道が山にかかるあたりの小さなOakmanの町。ロバがいて鉱山跡があって、西部劇に出てくる町の映画のセットのようなレストランやみやげ物屋が10軒ほど並ぶ。町に入ると、道は未舗装になったのもちょっと面白い。町の真ん中にある薄汚れた建物は、クラーク・ゲーブルが新婚旅行にお忍びで泊まったという「由緒ある」ホテルだ。ルート66とこの古びたホテルのお陰でちょっとした観光地。どこにこんなに人がいたの?と思うくらい、レストランもお土産屋も、小さな町は人であふれている。
町の風景も西部劇風だが、町を出ると町の外も半砂漠、21世紀になってもワイルドウエストの世界が広がっている。とりまく岩山や乾燥しきった大地にしがみつくようにしぶとく根を張る草、照り付ける日差し、荒涼としたむき出しの自然の中を走ると、豊かなカリフォルニアの地を目指して西を目指した「怒りの葡萄」のあの時代の空気をちょっと味わった気分だ。
Oakmanの町を出るとすぐに山道の急な道を上っていく。峠の手前で写真を撮っていると巨大なハーレーの集団が爆音を立てて下ってきた。いかつい顔で優しく手を振ってくれた。
山を下るとちょっと大きなI-40の町、キングマンKingman。ここもルート66の町としてマニアの間では有名な町らしい。この町を過ぎるとルート66は再びは大きく北へ湾曲、ピーチスプリングスPeach Springsあたりでコロラド川に接近して南へ方向を変え、再びI-40に接近する付近がこの旅で記念すべき!第一夜をすごすSeligman。「ルート66復興運動」が始まった町として大変よく知られた田舎町だ。
ピーチスプリングスを出たあたりから左手に数百mほど?の高さの断崖が初めはズーッと遠くに、少し近づきながら見えている。あの断崖の向こうにグランド・キャニオンが広がっているのだろうか…少しワクワクしながら、途中で写真を撮ったりしたが、Seligmanの町に近づくと途絶えた。あれは何だったんだろう、面白い地形…後で地図を見るとAubrey Cliffsとあった。
実は、これがアリゾナ、ユタの雄大な数々の国立公園を作り出すもとになった、アリゾナ州北部からユタ州南部にかけて広がる、この一帯特有の、押し寄せる巨大な津波が、瞬間に凍りついて断崖になったような不思議な「クリフ」と呼ばれている地形で、国立公園を訪ねる私たちの目の前に次々と形を変えて現るものだと後で知ることになる。
ゼネラル・ストアが1軒とレストランが向かい合わせに2軒にモーテル66。ここが町のヘソ。300mほど東には私たちが予約したSupai Motelなどモーテルが3、4軒固まり、土産屋も2、3軒。土産屋は1948年製の自動車などオールドカーなどを店の前に出し、ムードを盛り上げる。
こんな町の風景を訪ねる私たちのような客も結構いて、小さな町を熱心に写真に収めている人の姿もチラホラ。
夕食に入ったレストンランでウインナーシュニッツェルと…と料理を2人前注文しようとすると、おばさんが多すぎるから1人前を2人でシェアしなさいと薦めてくれた。確かに1人前を2人でいただいて十分だった。現金で払ったはずだけど、メモがないので料金は不明。ビールを頼んでも20~30ドルだったと思う。なにもかも慣れない旅が始まった。
夕食を終えて外へ出るととっぷり闇の中。私たちの泊まったSupai Motelなどのオールドファッションのネオン看板が、鮮やかに浮かび上がり、まるで66の時代で時の流れが止まったように、町は静かに暮れていく。
でも泊まったホテルはチョットいただけなかった。部屋は古くさくて、バスタブが使えず、寝るだけの部屋という味気なさ(そうそうインターネットも使えなかった)旅の第一夜というのに、少しケチりすぎたか…。
今回の宿の予約は日本から、第一夜から最後の夜まですべてWEBで終えていた。目的は国立公園めぐりなので、できれば国立公園では公園内に泊まりたい。公園内に宿がないならできる限り近くに泊まりたい。そういう宿というのは、当然かなり人気が高いので競争も激しい。そこで人気の国立公園から早めに予約を始めたのだ。ところが、アメリカには何度かやってきているが、泊まったのは友人宅と、ラスベガスのホテルだけという私たち。一体どれくらい出せば、どの程度の部屋に泊まれるのか、その部屋は私たちにとってどの程度の満足度なのか。あたりまえのことだが、そのあたりの甘辛の判断基準がまったくない。モーテルの値段と質のバランスがまるで分かっていなかった。
そこで、国立公園内のロッジが$100~$130ほどだったので、その他の宿は$100をめどにした。できればそれより安い宿。高い宿は確かに一定以上の質は保障されているが、当たり外れの面白さがない。安全、安心、清潔な旅はお金で買えるが、少し不安があるくらいの旅行の方が、その瞬間はちょっと大変でも、ずっと思い出に残る面白い旅になる、今回もそんな旅をしてみたいと思っている。
で、$75の部屋になったのだが。(確かに、その後の経験では、100ドルに近づくとまずまず快適、100ドル以上だとほぼ合格ライン。逆に50ドルに近づくと何かが犠牲になる。バスタブが使えず、シャワー。ただし人気観光地は20~30%ほどアップで100ドル近くでもウ~ン…というところもあった。もちろん、逆に田舎町では50ドル台で結構満足なところも)
しかし想像以上だったのは、自分でもちょっと異様さを感じるほどの緊張感。近くのゼネラル・ストアで買ってきたバドワイザーを飲んでも、神経がぴりぴり。LA郊外のベンチュラ郡にある、友人の自宅を出たのが早朝5時50分。車から出ると英語だけの世界、横文字の道路標識を見ながら、カーナビなしで観光ポイントを押さえながらのロング・ドライブ。これ以上ない悪条件で疲れ切っているはずなのに、体から力が抜けていかない。こんなこといつ以来だろう。なかなか寝付けないまま、落ち着かない旅の第1夜は、クイーンベッドが2台詰め込まれた狭い部屋で更けていった。
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